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評者◆秋竜山
かゆみの限界、の巻
No.3195 ・ 2015年02月21日




■女性に、「ねぇ、かいてちょうだい」と、いわれたら、男としてどーしますか。絵をかくのではない。かゆいところを、かくということだ。もちろん、そんなことをかいてある本ではない。「かゆみ」を「引っ掻く」という本である。かゆいほど、かゆいことはない。死ぬほど「かゆい」と、いえるかもしれない。菊池新『なぜ皮膚はかゆくなるのか』(PHP新書、本体七六〇円)。かゆいとかきたくなる。
 〈「かゆみ」は、一六六〇年にドイツの医師ハーフェンレファー(Hafenreffer S)によって、次のように定義された。「掻きたいという衝動を引き起こす不快な感覚」。つまり、「かゆみ」には「掻きたい」という衝動が必ずついてくる。「かゆみ」と「掻く」はセットというわけだ。〉
 こんな、あたりまえのことが、定義される以前というのがあったと思うと、定義される前から、かゆくて、かいていたことになり、定義以前と以後が同じかゆさであり、かくという行為であるということであり、定義というものは、あらためてナットクするということなのか。
 〈さて、この「●(病垂に蚤)」と「掻」には、どちらにも「蚤」が入っている。「蚤」がやまいだれの中に入れば「●(病垂に蚤)」で、かゆいことを意味し、てへんが付けば「掻」で、それを手で取り除くことを意味する。おそらく昔の人にとって一番わかりやすいかゆみの原因が、蚤などの虫だったのだろう。(略)すなわち、元来かゆみとは、虫などによって起こる皮膚の異常を「取り除いてほしい」と知らせてくれるシグナルであると考えられるのだ。〉(本書より)
 蚤とは、「アア、なつかしい」と、いう世代も古い。そして、段々とすくなくなっていく。さびしいようなさびしくないような。蚤のかゆさになやまされた時代があったという日本の一時代の歴史を語ったとしても、若いものには、まず理解できないだろう。「昔、蚤というのがいて、あの血をすわれる時のかゆさといったら快感ですらあったんだよ。そして、ね。指先でつかまえて、その蚤をつぶすんだ」。ツメというものの存在が一番発揮された時代ではなかったろうか。プチッと音をたてて、たっぷりすった血が音とともにはじける。アア、今でも忘れられない音だ。深夜、フトンの上で家族そろって蚤とりをした。裸電球の薄暗い明かりの下で。昭和二十年代後半の最大の子供時代の私にとって自慢して語りつぐことのできる想い出である。
 〈この「かゆい」という感覚はどこに出るものだろうか。かゆくなる部位は、決まっている。腕、足、背中、顔、目、鼻の中、耳の穴、陰部など。しかし、腹の中や頭の中はかゆくならない。腹痛、頭痛といった痛みのような、体の内側のかゆみというものは存在しないのだ。実は、かゆくなるのは、皮膚と一部の粘膜だけなのである。〉(本書より)
 そして、どうしてかわからないのが、
 〈不思議なことに、手の届くところがかゆくなる。届かないところはかゆくならないということだ。〉(本書より)
 かゆいところへ手の届くような女房をもらえ!! と、いわれたような気もする。つまりはそーいうことなんだろうな。「バカ!! どこをかいているんだ!! そこではないといってるだろ!!」。女房ついに怒る。そしてツメをたてて「もー知らない」。ガリッ!! 「ウン!! そこだ」。







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