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評者◆前田和男
若きLGBT人権活動家・尾辻かな子の巻⑳
No.3192 ・ 2015年01月31日
■国政への挑戦を決断
最年少の都道府県議となって3年目の2006年に入ってから、尾辻かな子は、翌年4月にやってくる2期目の選挙について、深刻に考えあぐねることになった。 無我夢中で走ってきたが、次回からは選挙の前提条件が様変わりし、ゼロベースで見直す必要に迫られたのだ。選挙区のある堺市が政令市の要件を満たしたことで、堺に限っては、次回の選挙システムが全面的に変わることになった。 それまで大阪府議会(定数114人)では、政令市である大阪市以外の選挙区では、各自治体をベースに人口に応じて定数が決められていた。ちなみに、大阪市についで府下2番目の人口を誇る堺は定数10。尾辻はそこで市の全域から「無党派」の票を万遍なく集めて何とか最下位で滑り込むことができた。 これが次回からは、定数1の選挙区が2、定数2の選挙区が4に分割される。これではどこから出るにせよ当選は極めて難しい。 この選挙システムの激変を前にして尾辻は考え、悩んだ。 当選をめざすとすると、選挙をふくめて政治活動のスタイルを抜本的に変えなければならない。従来の市民運動をバックにしたふわっとした活動では当選は見込めない。自民党系議員が得意とする、町内会の祭りや冠婚葬祭に熱心に顔を出す「どぶ板」活動が最も有効になる。 しかし、仮に選挙スタイルを変えて通ったとしても“政治の現場”が遠くなる。政令市となって行政権限が大幅に移譲されることで、地域密着の課題の多くは堺市議たちの方が取り組みやすくなる。それは3年間の議会活動で、政令市の大阪市選出の府議たちを見てよくわかった。政令都市の都道府県会議員が国会議員を狙う“ベンチウォーマー”になりがちなのも、そうした事情があるからだ。自分もひとまずその地位を手に入れて国政を狙うか? それは尾辻の政治スタイルとはあまりにも違っていた。 もうひとつ戸惑いがあった。LGBT当事者であるとカミングアウトしたことで、自治体選挙をどう闘ったらいいのか見えなくなっていたのだ。「堺市や大阪府からでは解決できない課題が多くある」との思いが胸中でわだかまって膨らんでいった。マスコミから取材を受け、全国レベルのLGBT活動に関わるようになって、その思いはいっそう強くなっていた。 「国政への挑戦しか自分に道はない」 カミングアウトの時は周囲に相談もし、多くの支援者から止められもしたが、今回は違った。尾辻自身による決断だった。 支援者たちの反応は、「尾辻が決断したことだから、寄り添えるところまで寄り添ってみよう」だった。そんな中でも積極的に動いてくれる“奇特な”支援者がいた。当時自治労大阪府本部書記長の富永猛とその友人たちだった。 富永も「府議としての再選」は非常に厳しいと見た。一方で尾辻の新人らしからぬ活躍ぶりをここで終わらせてしまうのは惜しい、もったいない、なんとか国政へ送り出してもっと大きく花開かせたい、そのためには3年前の2003年に小沢一郎率いる自由党を吸収して躍進が期待される民主党から公認をもらう、LGBT当事者というテーマ性からも全国比例がいいだろう、と考えた。ただし自治労幹部である富永は、同じ全国比例に自治労が推す組織内候補がいるため動けない。友人たちに依頼してひと肌脱いでもらうことにした。 まずは民主党大阪府連から公認候補として中央に上げてもらおうとしたが、首尾よくいかない。そこで尾辻は民主党中央の「全国公募」にエントリー、上京して選対本部の面接を受けたもののペンディングのまま。 通常、参議院選挙の準備は遅くとも1年前に取り掛かるのが“定石”とされる。なんとか年内には公認をとらねばならないが、年が明けても公認が出ない。これでは選挙にならないと、次なる手が打たれた。民主党の要人に尾辻を会わせてプッシュをしてもらう作戦である。 まずは結党以来の重鎮の横路孝弘に働きかけた。リベラル派の領袖らしく、尾辻のLGBT政策に理解を示して後押しを約束してくれた。さらには、ある議員の仲介で、鳩山由紀夫にも面会。鳩山は、地元大阪府連から上げるのが筋だろうと手続き論を問題にしたが、なぜか府連経由のルートが目詰まりしている事情を説明すると、LGBT政策は民主党には必要だと理解を示してくれた。これでいけると尾辻と周辺は安堵した。が、隔週に開かれる党の最高意思決定機関である常任幹事会で順次公認が決定されると言われたのに、2か月たっても音沙汰がない。 後でわかったことだが、事情通によれば、公認が決まらなかったのは、一つは常任幹事の中にLGBT問題を「毛嫌い」する議員がいたこと、さらに性同一障害者の世田谷区議・上川あやも公認申請をしており、それが“同一業界”から二人は出せない口実につかわれていたという裏事情があったらしい。 尾辻の府議としての任期は、4月の統一地方選挙で切れる。政治家として次なる進路を内外に表明しなければならないが、したくてもそれができない。目標のない大海に漕ぎ出したような状態で不安が募り、ストレスで指の皮がむけてしまった。 ついに富永の友人たちはダメモトで最後のカードを切った。当時民主党の代表だった小沢一郎に直談判を申し込んだのだ。驚いたことにわずか15分だが直接会えることとなった。尾辻は急遽上京して、民主党本部で小沢の面接を受けることになった。 会うなり小沢は言った。「学生時代、二丁目には行ったことがある」。コワモテの老獪政治家とばかり思っていた尾辻は面食らった。それからが小沢の真骨頂だった。「あなたの票は本来、民主党にこない票だ。あるいは選挙に行かない票だ。これが民主党にくるのならいいじゃないか。大いに頑張ってくれたまえ」。 後になって尾辻は小沢との面接を工作してくれた人物から聞かされたが、小沢と同席した民主党職員との間で次のようなやりとりがあったという。「代表、では常幹に出て、尾辻かな子に公認を出すようおっしゃってください」「ばかいうな、きみから小沢がそういっていたと連中に伝えればいい」。 真偽と経緯のほどは定かでないが、小沢が請け合ったとおり、ついに尾辻に公認が出た。しかし季節は風薫る5月、選挙まで余すところ2か月しかなかった。 (本文敬称略) (つづく) 連載 第二一回 |
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