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評者◆添田馨
民衆を敵となさぬ知恵――薄汚れた国(7)
No.3190 ・ 2015年01月17日
■第二次大戦終結直後の一九四五年から四六年にかけて、ヤスパースが行った一連の講義(責罪論)のことを、私はふと思い出す。何故なのかは自分でもよく分からない。ただ、本物の知恵に裏打ちされた先人の言葉が、本当に身に染みる時というものが間違いなくある。私にとっては、まさに今がそういう時なのだろう。
「大掴みに見て今日のわれわれドイツ人に共通なのは、マイナスの面だけかも知れない。完膚なきまでに征服されて征服者の恩寵一つに委ねられた国民に属していること、われわれすべてを結ぶ共通の地盤がないこと、放心状態ということ、などがこれである。各自が大体において自分だけを頼りにしているが、その癖各自が個人としては絶望的に無力である。共通なのは非共通性という点である。」(カール・ヤスパース『戦争の罪を問う』より) やり場のない敗北感といえばよいのか。戦った実感がまったくないまま、当たり前のようにただ“負けた”という事実のみが残る。茶番劇のような衆院選挙後のこの体たらくに、無言をかこつしかなかったのは果たして私だけではあるまい。 思えば、私たち有権者は、よくもここまで舐められたものである。選挙の投票率は小選挙区で52.66%と、戦後の最低記録を更新した。結果はすでに承知の通りである。当然ながら、政権側は年末のこの時期このタイミングで野党側の準備不足に加え、投票率が著しく低いだろうことも読みきった上で、この選挙戦を仕掛けてきた。裏を返せば、私たち選挙民のレベルが、せいぜいその程度だと彼等は正確に判断したということだ。低劣さもここまでくると、もはや救いようがない。 引用したヤスパースの言葉が感銘深いのは、かつてナチス政権を選択した当のドイツ民衆を、彼がいささかも批難していないことである。たとえ彼等が自分を最も苦しめた者たちであっても。いま私は、彼の言葉がいまも生きて輝いていることに一縷の救いを見出している。 (続く) |
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