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評者◆堀田義太郎
キャンパス・ヘイトスピーチ規制と「観点中立性」(1)――大学の役割と表現の目的
No.3189 ・ 2015年01月10日




■2014年1月に立命館大学の授業に関連して、また5月には広島大学の授業をめぐって、マイノリティ教員に対するヘイトスピーチがインターネット上に氾濫したことは記憶に新しい。これまでも、大学に限らず教育の場でマイノリティの人々が侮蔑的・攻撃的な発言の標的になることはあったし、残念ながら今もある。日本ではキャンパス内のヘイトスピーチ問題に対する取り組みは(も)遅れている。そんななか、私は友人たちと共に状況を改善するための活動ができないかと模索してきた。
 ところで、ヘイトスピーチが「マジョリティ/マイノリティ」関係に関わることには共通認識があると思われる。以下では、とくに大学内でのヘイトスピーチ規制を、この関係を含めて擁護する米国の議論を簡単に紹介したい。米国の歴史的な特殊性には十分に留意する必要があるが、その議論は背景も含めて参考になると思われるからである。
 知られているように、米国では憲法修正第一条との関係で、ヘイトスピーチ規制について多くの議論が展開されている。米国では、大学内で(も)人種差別的な暴力や嫌がらせなどが頻発していたことを受けて、87年のスタンフォード大やミシガン大を端緒として、90年代初頭には類似の規則が300以上の大学で採用された。しかし同時に、93年までにこれらを含む6つの大学の規則について、その違憲性を問う裁判が起こされ、そのすべてに違憲判決が下された。その主な理由は、規制の範囲が不明確だというものだった。とはいえ、その後も(大学内には限定されないが)規制の是非については活発な議論が展開されている。また、規制に反対する「FIRE」という組織の調査によれば、2010年の時点で、公立大学の71%、私立大学の70%が「修正第一条を侵害」しうるようなスピーチコードをもっている(http://www.thefire.org/public/pdfs/9aed4643c95e93299724a350234a29d6.pdf?direct)。
 ここでは、こうした状況で、かねてからキャンパスでのヘイトスピーチ規制をリベラリズムとの関係で考察しているアンドリュー・アルトマンの議論を紹介したい(主にA.Altman”Speech Codes and Expressive Harm,”Ethics in Practice:An Anthology,4th Edition,John Wiley & Sons.2014)。
 アルトマンの問題意識は法規制に関する議論とも共通して、規制対象の曖昧さによって濫用される危険性を避けるために、対象となる表現の範囲を明確化することにある。もちろん大学の規制と法規制とでは大きな違いがある。ただ、表現の範囲に関する問題は共通している。だが、範囲を明確にするためにマジョリティ/マイノリティ関係を入れると、「中立性」というリベラリズムの発想に対立してしまう。このジレンマが問題になる。
 アルトマンによれば、第一に、ヘイトスピーチ規制の正当化理由を「害」だけに求めるのではなく、言論や表現の目的に応じて規制対象を限定すべきである。第二にアルトマンは、ヘイトスピーチ規制は一般的なハラスメント規制とは異なり、マジョリティ/マイノリティ関係に関する歴史的・社会的な文脈を前提にしたものだとした上で、これを擁護している。
 まず、第一点について、ヘイトスピーチ規制擁護論には、被害者が受ける害を根拠にする議論が多い。もちろんヘイトスピーチが甚大な害を与えることは事実である。しかしアルトマンによれば、キャンパス内のヘイトスピーチ規制の正当化理由を害の大きさだけに求めるとすれば、それには問題がある。というのも、「酔った学生」の暴言よりも、学術的な文体で書かれた著作等のほうが、相手にとって害が大きい場合もあるからである。たとえば、「ヨーロッパ人」のほうが「アフリカ人」よりも優れているとしつつ、「このパターンには遺伝ベースの進化的起源があると考えられる」とする著書のほうが、アフリカ系の読者に与える害は大きいかもしれない。この場合、害だけに基づく議論では、こうした著書は図書館等から撤去されるべきだということになる。
 たしかに、科学的または哲学的な文体の言論も、罵倒や攻撃の効果をもちうる。しかし、アルトマンは、規制の当否は、言論や表現の主要な目的に応じて検討すべきだと言う。たとえば、上のような著書は、その内容に対する客観的な妥当性を要求する「文体」や「語彙」をもつ。アルトマンによれば、客観的な妥当性要求を主目的とする表現は、とくに大学という場においては、単に「有害」という理由で禁止したり除外するのではなく、学術的な反論と批判に付すべきである。大学は、共同の議論と知識の組織的な追究という役割をもっており、客観的妥当性を要求するような主張は、批判的評価のために入手可能であるべきだからである。他方、相手を貶めたり攻撃することを目的とした表現は規制の対象になりうる。
 しかし、罵倒や攻撃などを目的とするという点だけでは広すぎる。アルトマンによれば、第二に、その標的が歴史的社会的なマイノリティであることが必要になる。ただ、そうすると今度はリベラリズムとの関係で問題が生ずる。それは、リベラリズムが重視する表現内容や観点に関する「中立性」の要請に抵触するからである。しかしアルトマンは、観点中立的ではない規制は、むしろリベラルな立場から擁護できると述べている。
 では、どのような理由で擁護できるのだろうか。次回はこの論点を紹介したい。そこには、ヘイトスピーチ規制とハラスメント規制との関係を考える上でも参考になる論点が含まれている。
(哲学・倫理学/東京理科大学理工学部・講師)







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