書評/新聞記事 検索  図書新聞は、毎週土曜日書店発売、定期購読も承ります

【重要なお知らせ】お問い合わせフォーム故障中につき、直接メール(koudoku@toshoshimbun.com)かお電話にてバックナンバー・定期購読の御注文をお願い致します。

評者◆最終回 平凡社・下中美都社長
百科事典から歳時記まで――次の時代の豊さにつながる出版を――創業者下中弥三郎は、なぜ百科事典を作ったのか
No.3188 ・ 2015年01月01日




■海老名市立中央図書館は11月16日、第6回「出版社と図書館をつなぐ」講演会(企画・図書館流通センター)を開催し、登壇した平凡社の下中美都社長は今年100周年を迎えた同社の代名詞ともなった「百科事典」刊行の由来、百科事典の全盛期、今後の出版の柱となるテーマについて話をした。講演要旨は次の通り。

■百科事典の平凡社日本では1社のみ

 平凡社は私の祖父・下中弥三郎が立ち上げた出版社で、今年100周年を迎えました。私は6代目として、今年社長に就任しました。前社長は東京印書館の社長も兼任していた従兄の下中直人、その前が兄の下中弘、叔父の下中直也、父の下中邦彦が歴代社長を務めました。いわば、一家総出で平凡社を守ってきました。
 「百科事典の平凡社」といわれますが、紙の百科事典をつくっているのは、日本ではとうとう平凡社1社になりました。古今東西の事象を文化的・歴史的に横断して関連づけて、客観的に解説するのが百科事典です。一過性の情報に対して、歴史的にはこうだとか、別の観点からは異なる見方ができるなど、複数の角度から考えることができるのが百科事典ならではの強みです。百科事典は教養のスタンダードと、物事を面白がる力=知的好奇心が身につく書物だと思います。けれど今は何でもネットで検索できる時代になりましたので、百科事典は1000部つくって3年かけて売る、そういう状況になっています。
 平凡社も紙だけではと考えて、1990年代からNECと組んだり、日立製作所と日立デジタル平凡社という合弁会社を立ち上げ、百科事典をデジタル化してきています。紙では全35巻で27万円の百科事典を、CDロム版は7万円で販売しましたが、期待するほどは売れませんでした。何よりヴァージョンアップによる読者対応がたいへんでした。さらにネット検索の時代になると、〝お皿〟で百科事典をひく人も少なくなり、最後は価格を2万円にしました。
 海外では一足先に、ブリタニカが百科事典のオンライン化を手がけ、お試し無料サービスも立ち上がっていました。音楽業界と同様、情報をオンライン化することで、ネット上のタダの情報とごっちゃにされる状況が生まれてきたとも言えるでしょう。
 昨年8月、平凡社では小学館と「社団法人百科総合リサーチセンター」を設立しました。ここで百科事典の情報整備と、次世代のデジタル百科事典を準備中です。情報の典拠性のしっかりした、読者がほしいレベルの新しい百科事典を目指して模索しています。
 平凡社はこの100年の間に、ゼロから新規の大きな百科事典を四半世紀に1回ずつつくってきました。そのほか『国民百科』『児童百科』『中学生百科』『小百科』『えほん百科』など読者層に合わせた大中小様々な百科事典を出しています。ちなみに新しい百科事典が出ても、出版社に利益はあまり残りません。これを改訂増補新版・カスタム版・特装版・デジタル版などで情報を刷新したり、装丁を変えて出すことで利益が出るのです。
 例外もあります。『国民百科』は累計120万部売れて、四谷に立派なビルが建ちました。それほど潤ったのはこのときだけですが。
 これら改訂新版・新装版などを合わせて合計50もの百科事典を刊行してきました。百科事典をつくるためにはお金もかかるし、多くの人の力を借りなくてはいけません。『世界大百科事典』は改訂・新版の際には3億円、創刊の際には編集だけで50億円、人件費なども入れると100億円近くもかかったと聞きます。

■倒産危機に百科事典で逆転満塁ホームラン

 なぜ、平凡社は百科事典だったのか。まず創業者・下中弥三郎について話します。弥三郎は明治11年、立杭焼の窯元の長男として生まれます。しかし、2歳のときに父が、7歳のときに祖父が亡くなり、一気に家が貧乏になりました。小学3年生でついに学校に通えなくなり、陶工として働き始めます。
 そのとき、隣に住んでいた医者が弥三郎の境遇を不憫に思って、「新撰百科全書」を弥三郎に手渡しました。むさぼるように読んでいたそうです。学問に目覚めて、独学でしたが、19歳で教員試験に合格しました。勤めた小学校では宿直の際に図書館の本を片っ端から読み漁っていたそうです。
 その後、日本でいちばん本が置いてある憧れの「帝国図書館」がある東京に行き、「児童新聞」「婦女新聞」の編集者を経て、埼玉師範学校の教師になります。そのころに、学生の答案の文字遣いがめちゃくちゃだったことにヒントを得て、通称『や・便』(『や、此は便利だ』)を企画しました。今で言う『現代用語の基礎知識』のようなものです。その企画を成蹊社という出版社に提案して刊行されました。
 しかし、成蹊社の経営が左前になり、紙型を買い取った弥三郎は1914年に『や・便』を刊行します。これが平凡社の始まりです。『や・便』は第1次世界大戦が勃発した当時、日本に外来カタカナ語が氾濫して日本語が乱れていた時代に呼応し、135刷と飛ぶように売れました。
 昭和の時代には『現代大衆文学全集』『世界美術全集』『書道全集』などのヒット企画を打ち出しました。当時は全集を1冊1円で予約販売する円本ブームでした。これに乗って、これらの企画は大当たりしました。調子づいた平凡社は雑誌『平凡』を創刊しますが、これが大失敗。来る日も来る日も返品の山で、どこに置くか社員は右往左往したそうです。結局、5号で廃刊になりました。
 しかし、赤字は莫大で100万円の不渡りを出しました。弥三郎は債権者会議で「もし私を信じて、前後処理を私にまかせてもらえるなら、私に建て直しの案がある」と提案します。それが長年あたためてきた、「大百科事典」全28巻の構想です。しかも、5カ月後に第1巻を出して、その後は毎月刊行するという大風呂敷を広げました。そして、そんなことは不可能という周囲の予想に反して、1931年11月に第1巻を刊行するという奇跡を果たしたのです。完結は4年後でしたが、1万7000~2万5000部くらいの予約がとれていたので、まずまずの売れ行きでした。
 弥三郎は大百科の月報に「私はほとんど学校教育を受けずに書物にばかりたよって学問しました。万人がいながらにして学べる百科事典は私の夢でした」と書いています。これさえあれば、誰もが等しく勉強できるという、幼少期の喜びと実感が出版動機だったのです。平凡社がなぜ百科事典をつくったかの原点がここにあります。
 弥三郎は百科事典刊行の夢を果たしました。この大百科事典の完成から、20年後の1955年には最大・最強と称する『世界大百科事典』を刊行しました。彼は「国の教育を高めておけば、その民族は滅びない。百科事典は、その国の文化の標準を作る」という言葉を残しています。平凡社がつくる百科事典の礎となっている言葉です。

■2代目の邦彦氏3大企画で経営基盤を盤石に

 2代目の下中邦彦は第2の創業者とも言える人です。邦彦は「出版は暮らしを豊かにする文化や教養の基礎を高めるもの」という理念のもとに、美術や写真・民俗等の文化的なものと、自然科学をバランスよく配するという編集方針で百科事典をつくりました。それが『国民百科事典』です。全7巻で1万円、一家に1セットというふれこみで1961年に刊行されました。これが先のようにベストセラーになり、経営を盤石にしました。1963年には『太陽』(2000年休刊)と「東洋文庫」を創刊。これが邦彦の3大企画であります。
 『国民百科事典』の成功のおかげで、ありとあらゆる事典を出版することができました。哲学・思想、日本史、気象、動植物、伝統文化、ファッション、やきものほか数えきれないほどの分野・エリア別の事典や図鑑、レファランス書籍を刊行してきました。近年では白川静さんの「字書」が知られています。どちらかというと、読む要素が強い事典が平凡社の特長です。こうした多くのレファランスの中に、「歳時記」があります。

■歳時記を柱のひとつにボーンデジタルも制作

 1959年、平凡社初の歳時記をつくりました。特徴は生活文化の百科事典という観点で編集しているところです。ひとつの季語について科学、文学、民俗学など各分野の専門家が文を寄せています。刊行当時は、「百科事典
の平凡社ならではのユニークな歳時記」と言われました。全5巻で26刷を重ね、今も新装版を刊行中です。生活文化の歴史である民俗学を、ひとつの出版の柱にしてきた平凡社では、歳時記と名のつく本を多数刊行しています。「東洋文庫」では最古の歳時記『荊楚歳時記』も収録しています。
 2010年には二十四節気と七十二候の説明と旬の風物を紹介するデジタルコンテンツ『くらしのこよみ』を電通と共同で制作しました。5日ごとに更新されるタブレット向けのアプリで、3年で30万ダウンロードとなりました。アプリを制作した1年後には紙の本としても刊行して、刷りを重ねています。
 季節感は日本文化の基本です。歳時記のような、生活文化の知恵袋的な出版は今後の柱のひとつになると考えます。12月中ごろの季語なら「柚子湯」ですね。柚子湯に入ると風邪をひかないという。「冬至風呂」とも言うそうです。季節の愉しみを人と分かち合うことができることを気付かせてくれる書物が歳時記です。これからは色々なことや様々なものをシェアしていく時代です。知恵は人間の一番の宝です。図書館もその宝を皆でシェアできる場所ですね。
 季節の愉しみを人と分かち合うセンス(感性)は、これからの豊かさを考えるうえで大事なカギとなるのではないでしょうか。







リンクサイト
サイト限定連載

図書新聞出版
  最新刊
『新宿センチメンタル・ジャーニー』
『山・自然探究――紀行・エッセイ・評論集』
『【新版】クリストとジャンヌ=クロード ライフ=ワークス=プロジェクト』
書店別 週間ベストセラーズ
■東京■東京堂書店様調べ
1位 マチズモを削り取れ
(武田砂鉄)
2位 喫茶店で松本隆さんから聞いたこと
(山下賢二)
3位 古くて素敵なクラシック・レコードたち
(村上春樹)
■新潟■萬松堂様調べ
1位 老いる意味
(森村誠一)
2位 老いの福袋
(樋口恵子)
3位 もうだまされない
新型コロナの大誤解
(西村秀一)

取扱い書店企業概要プライバシーポリシー利用規約