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評者◆素通堂
もしもこの世界を神がつくったというのなら、どうしてこの世界はこんなに不公平なのだろう
神さまの話
リルケ著、谷友幸訳
No.3188 ・ 2015年01月01日




■とあるオーストリアの小さな村、そこで一人の青年が近所に住む奥さんに神さまの話をします。それはこんなお話。神さまが人間をおつくりになった時、神さまはそのことに夢中のあまり、ちゃんと世界を見てはいませんでした。これではいけない、と思った神さまは、人間をつくることを自らの両手に任せ、世界を見ることに集中します。さて、そうして人間はできあがりましたが、神さまができあがった人間の姿を見ようとした時、両手の不注意のせいで人間は神さまの目に触れることなく世界に降りてしまったのです。だから人間の前には時折神さまが訪れます。人間の姿を見るために。その時、人間はどんな姿を見せるのか、人を思いやる姿なのか、それとも人を裏切る姿なのか、それがとても大事なことなのです。
 このお話は奥さんを通してその子どもたちへ、そして子どもたちを通して村中に広がってゆきます。何しろ小さな村のことですから。そうすると今度は様々な村人たちが彼のもとに訪れてこの話をします。すると彼もまた、その話に付け足すように新たな「神さまの話」をするのです。
 青年は話を終えるとき、必ず最後に「この話を子どもたちに聞かせてやってくださいね」と言います。それは子どもたちがこの世界で最も弱い者たちだからです。神さまが必要なのはいつだって弱い者たちです。村に住むお金持ちは言います。「神さまなんていない」と。また、村の教師は言うのです。「その神さまの話は、どんな権威に基づいているのかね」と。なぜ弱い者たちに神さまが必要なのか、というと、それはこの世界が不公平なものだからです。あるいは、人間が不完全であるがゆえに、人間にとっての世界、社会というものはいつだって不公平なものになるのです。この世界は不公平だから、どうしても豊かな者や強い者が有利になります。それは仕方のないことなのかもしれません。人間というのは不完全なものなのだから。でもそのことを是としない、なるだけそうじゃない方がいいと思うからこそ、人間はルールをつくる=政治をするのでしょう。政治とは祀りごとであり、祭りごとです。王権神授説を持ち出すまでもなく、それは「神の視点」でなされなければなりません。「神の視点」とはなにか、と言えば、それは強い者が得をするのではない世界にすること、そこで行われる政治は、彼ら強い者たちの足かせになるようなものでなければならないのです。では現在、主権が僕たち国民にあるこの国で、政治の当事者である政治家を選ぶ選挙という政治的決断を行う上で、弱い者のことを考えて投票する人が一体どれだけいるでしょうか。あるいは社会のどこかでルールや仕組みを考えるとき、最も損をしている人に合わせてそれらを決めようとする人が一体どれだけいるのでしょう。この前の選挙ではどうだったのでしょうか。「俺のことはいいからあいつを助けてやってくれ」という気持ちで投票した人がどれだけいたのでしょう。一体何人の人が「自分のために」投票したのでしょうか。それは本当は政治的な行為でもなんでもなく、むしろもっとも非政治的な行為なのに。もしも政治が、ルールや仕組みを考えることが、豊かな者や強い者がより強く、より豊かになり、数の多い者が数の少ない者の沈黙を強いるような、そんな結果を導くのならば、それが世界のありうべき姿なのだとしたら、この世界に政治なんてものは必要ないし、様々なルールも必要ないのです。むしろすべての政治家は、すべてのルールや仕組みはその非効率さゆえに不合理なものでしかありません。たとえば「新自由主義」がもたらすような弱
肉強食な世界であっては困るがゆえに政治が必要であるのなら、そもそも政治家を選ぶ僕たちが「自分の主張を通すために」投票してはならないのです。その行為こそが、むしろ「新自由主義」的な行為なのだから。
 作者であるリルケは詩人だからこそ、この世界が不完全であることに気づいたのかもしれません。そしてそれを是正するために必要なのは政治ではない、ということに。自らの主張を述べることほど、もっとも詩とかけ離れたものはありませんから。
 ……だけど、すべてのものが公平になり、均質化するということは、すべてのものが意味を失うということでもあります。生きる意味、働く意味、政治をする意味、詩を詠む意味、神さまが存在する意味……、それはこの世界が不公平なものだからこそあるのかもしれない。公平さ、均質化、そういった平等さを求めることは一見、理想的であるように思えるけれど、もしもそうすることでこの世界が意味を失ってゆくのだとしたら。この世界にある意味を引き替えにして手に入れるものが平等であるのだとしたら。もしもこの世界を神さまがつくったというのなら、神さまが望む世界とはどのようなものなのでしょう。それは平等ではあるがあらゆるものが無意味な世界なのでしょうか。それとも、不公平だからこそ意味のある世界なのでしょうか。
 この世界が公平になったとしたら、その時僕たちはこんな言葉をつぶやいているのかもしれません。もしもこの世界を神さまがつくったというのなら、どうしてこの世界はこんなにつまらないのだろう。

選評:古典が古典としてなぜ現代においても読まれ続けているのか、ということをよく考えさせてくれる書評です。今回の素通堂さんの書評のように、古典が現在進行形の問題や、多くの人が共有しているであろう体験とリンクさせられることによって、より活き活きと現代に甦ります。そして、新たな読者の手に取られて、その人の糧となっていくものなのでしょう。
次選レビュアー:manjyu〈『明日の子供たち』(幻冬舎)〉、よみか〈『エストニア紀行』(新潮社)〉







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