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評者◆隅田聡一郎
日本型企業社会において人種・民族差別禁止法が制定されなかった理由――岡本雅享監修・編著『日本の民族差別』(明石書店、2005年)を読む
No.3187 ・ 2014年12月20日




■今年8月、国連人種差別撤廃委員会は日本政府に3度目となる勧告を行い「包括的な人種差別禁止法」の制定を求めた。日本はアメリカと同様に人種差別撤廃条約(以下ICERD)の第4条を留保し国内法の整備を棚上げしている。国連でICERDが採択されたのは1965年であったが、日本が批准したのは30年後の95年であり、アメリカに次いで「先進国」最後の批准であった。岡本雅享によれば、この加入の遅れは、決して法律上の技術的理由ではなく、日本政治の中核においてICERD批准が政治的課題と見なされてこなかったことに由来する。そもそも、60年代半ばのICERD採択の背景には、欧米諸国におけるネオナチ運動や反ユダヤ主義に対する反レイシズム運動、公民権運動などが存在した。しかし、日本においては、自民党による長期単独政権下で、国外に対してはODAや日韓条約などによって戦後補償・植民地責任を棚上げし、国内に対しては「高度経済成長」による社会統合をつうじて「単一民族国家論」が普及するなど、ICERD批准が重要な政治課題とならなかったのである。
 それに対して、94年にようやくICERDを批准したアメリカにおいてさえも、国内的には黒人運動を背景とした、公民権法やアファーマティブ・アクション、反ヘイトクライム法といった人種差別是正政策が存在していたのである。しかし、その翌年の日本の批准は、アメリカの批准という「外圧」によるものであって、94年に(むろん、それ以前からも)朝鮮学校生徒へのヘイトクライムが多発していたにもかかわらず、こうした事態は、日本社会が国内に存在する民族差別を克服するためにICERDを批准する「内発的」契機とはならなかった。
 それではなぜ、日本社会ではICERD批准が遅れ、かつ現在に至るまで人種差別禁止法が制定されてこなかったのか。この問いに対する岡本の「政治社会学」的分析は、試論的ではあるが、昨今のヘイトスピーチ情勢において重大な意味をもつ。日本社会において人種差別禁止法が推進され得ない理由は、端的に言えば、中道左派政権あるいは社会民主主義勢力の不在である。岡本は、欧州諸国におけるICERD実施の推進要素を概観しつつ、イギリスの人種関係法(65年)、フランスの人種差別禁止法(72年)、スウェーデンの人種差別禁止法(86年)、スイスのICERDに対応した刑法改定(94年)などにおいて、社会民主主義政党や共産党、90年代以降は緑の党といった左派連立政権のイニシアティブを強調している。ただし、岡本自身「政権交代、2009年に誕生した民主・社民・国民新党の連立政権でも立法はできなかった」と認めているように、日本では立法推進の「内発的契機」は未だに成熟してはいない(「排外主義の広がりにどう対処するか」『Mネット165号』)。それどころか、民主党政権下において朝鮮学校高校無償化除外という差別的措置(それに伴う各地方自治体の補助金停止)がなされたことは記憶に新しく、その延長線上に現在のヘイトスピーチ情勢もある。
 もっとも、岡本の分析が優れているのは、「政権交代」によって左派政権が人種差別禁止法を推進するという点にあるのではなく、その内発的契機の欠如を日本の市民社会の特殊性から説明していることにある。第一に、そもそも人種差別禁止法制定過程における市民団体のイニシアティブが日本においては脆弱である。フランスで最も早くから反人種差別法の草案を作ったのは、人権団体MRAP(反人種主義・人民間友好運動)であったという。現在では特定の反レイシズム団体が公訴権までも持ち合わせているフランスと比べたとき、日本においては、昨今のヘイトスピーチ情勢のもとで数多くの市民活動や法規制への動きが生まれているとはいえ、市民団体の力量が欧米に比べて非常に弱い。第二に、その背景として日本型企業社会の存在があげられる。日本においても、70年代には民族差別撤廃運動が高揚したが、日立闘争や指紋押捺拒否運動に代表される「反差別規範」は、欧米のように人種差別禁止法として制度化することはなかった。この点は、たとえ「表現の自由」が重視されているとしても、64年制定の公民権法のもとで「職場」においては人種差別的発言が罰せられるアメリカ社会とも根本的に異なっている。というのも、日本においては、70年代に企業社会が確立し、欧米のような企業横断的な労働組合運動が存在しないため、労働市場規制はもちろん、女性や障害者、民族といったマイノリティ差別に対する「反差別規範」を制度化するような政治的勢力が生まれなかったからである。
 岡本は以上の分析から、女性運動による「セクハラ訴訟」の積み重ねや障害者運動による「障害者差別禁止条例」制定を参考にしつつ、反レイシズム運動の実践的な指針を提起している。すなわち、差別を目に見える「犯罪」として規範化するために、まずは地方自治体において、人種差別禁止条例制定による啓発と予防措置(人種差別事例や相談件数の統計化など)を実現し「反差別規範」を制度化していくことである。もちろん、ヘイトスピーチが許容されるという欧州の極右が羨む状況が全般化した日本社会において、ICERD実施のために社会民主主義勢力を糾合していく展望を維持することは非常に困難である。しかし、昨今のヘイトスピーチ情勢に対する国際的な「外圧」を歓迎しながらも、国内において市民団体が制度改良を継続することで、ICERD実施の「内発的契機」を醸成していく以外に道はない。
(一橋大学大学院社会学研究科博士課程/NPO法人セイピースプロジェクト)







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