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評者◆秋竜山
日本人は黙って、の巻
No.3187 ・ 2014年12月20日




■富士山は誰が見ても美しい。それは、いつも無言だからだ。大観の富士山の画を漫画にするのはわけないことだ、あの画にふき出しをつけて言葉を書き入れればよい!! と、いったのは漫画家の横山隆一先生であった。富士山が無言であるべき姿をわすれて言葉を発した瞬間、あの美しい富士山でなくなるだろう。なぜならば、富士山の美しさは無言によって成り立っているからである。金田一秀穂『金田一家、日本語百年のひみつ』(朝日新書、本体七六〇円)を、読みながらそんなことを考えていた。余計なことを考えるものだ。
 〈日本人は、言葉にすることを嫌う、という特性があることを春彦が言っている。「日本語の心」という題で話すのが春彦は好きで、どこでも同じようなことを言っている。福岡の高校の先生を前にして行なった講演(1996〔平成8〕年)からひいてみる。〉(本書より)
 初代、金田一京助。二代目、金田一春彦。三代目、金田一秀穂。
 〈祖父京助は戦前の日本語研究世代であり、春彦は昭和の国語の世代であった。この百年間、日本語は世の中と同じように変化をこうむってきている。ここで三代について書くことが「日本語の100年史」になると思えないけれど、いまの時代が振り返った身近な国語研究史の端っこの端っこぐらいが明らかになっているのではないかと思う。〉(本書、―はじめに)
 で、先ほどの講演の内容は、
 〈日本人は、なるべくしゃべらない方がいいと、こういう考えが根本にあると思います。〉(本書より)
 今、日本で一番のしゃべりは、テレビ文化だろう。まず、無言のテレビ放送など聞いたことがない。テレビというものは画面に映し出す無言の人を、おしゃべり人間に変化させる。日本人って、こんなにおしゃべりだったっけか? なんて、考えてしまう。テレビ自身の恐怖は放映中に画面が突如として無言になってしまうことだろう。講演で春彦先生は続ける。
 〈たとえば相撲。テレビで見ておりますと二人の力士が(略)同時に土俵を飛び出すことがあります。(略)その相撲取りはどうしていますか。自分の座るべき席に座って前を向いたまま一言も口をきこうとしておりませんね。あれが日本人は好きなんです。〉(本書より)
 土俵の中央で五人の検査役が、どっちがどうだったかというようなことをいいあっている。どっちが勝ってどっちが負けたか。
 〈「私は今の勝負についてはいっさい意見をもっておりません、すべて五人の方の審判に従います」としている。あの態度が日本人は好きなんです。〉(本書より)
 そのような場面がテレビに映し出される。二人の力士の表情は、何もなかったかのように平然としている。きっと腹の中では「俺のほうの勝ちだ」なんて思っているかもしれない。行司だって、かわいそうなくらい、何もなかったかのような顔をして審判の結果を待っている。これが相撲というものであり、日本人好みでもあって無言の文化であったとして、土俵にあがって取り組んでいるのは外国人力士の数が圧倒的に多い。これが今の相撲である。だんだんとわからなくなっていく相撲の世界だ。無言ということは、なんだか、かなしいような、かなしくないような。







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