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評者◆第3弾 くすみ書房(札幌)・久住邦晴氏(下)
ここまでして本屋を続けるのは未来をつくる「子どもたち」のため~超有名店がなぜ閉店危機に追い込まれたのか~競合の出店、大谷地へ移転、閉店危機~受難の平成時代
No.3186 ・ 2014年12月13日




■「もうこれで資金繰りに苦労することもなくなる」。
 閉店を決めた邦晴氏は同店の地下1階の喫茶店でコーヒーを飲んでいた。心が少し軽くなり、落ち着きを取り戻したのか、あることに気がつき、愕然とする。このまま店を閉めれば「久住さんは、息子さんを亡くして店を閉めた」と言われ続けてしまう。息子のせいにされては16歳で命を落とした彼の立つ瀬がない――。
 何とか、起死回生の策はないものか。そのヒントを求めて大量の本をむさぼるように読んだ。感情マーケティングの本を手にしたときだった。そこに何度も書かれていた「人を集める」という言葉に激しく反応した。売上を伸ばすことばかり考えていたが、集客するという視点では考えてこなかった。人を集めるにはどうすればいいのか? 広告代理店に勤める友人に相談した。即座に友人は答えた。「マスコミを動かすこと。新聞やテレビで取り上げてもらえることをやればいい。そのためには誰もやったことがないことを実施することが必要だ」と。

■売れない文庫フェアの誕生

 くすみ書房を全国に知らしめた「なぜだ!?売れない文庫フェア」の誕生である。
 当時約2300点あった新潮文庫の無印ランク(最下位ランク)の本を集めてフェアをやってみたいと友人に打ち明けた。ずっと温めていた考えだが、経営が好転して余裕ができたときに実現できればと思っていたアイデアだ。「売れない文庫フェアというタイトルでやれば、マスコミは食いつく」。友人の言葉に励まされ、新潮文庫700点と、あまり売れないと思っていた「ちくま文庫」から800点を集めた全点面陳フェアを企画。フェアの趣意書を企画書とともに新聞社に送付した。
 その後の話は様々な媒体で取り上げられている通り。店の電話は鳴りやまず、多くの人が店舗に殺到し、1500冊の文庫は1カ月もたたずに売り切れた。その後に中公文庫で第2回「売れない文庫フェア」、「岩波文庫で朗読会」、「本屋のオヤジのおせっかい中学生はこれを読めフェア」「ソクラテスのカフェ」(地下1階の喫茶スペース)などマスコミを大きくにぎわす企画を次々と成功させていった。「この2年間は本当に幸福な時代でした。様々なイベントを立ち上げて、売上も多い時で3割、少なくとも1~2割ほど上がり続けました。これで大丈夫だ、そう思っていました」。
 07(平成19)年、店から700メートル離れたJR琴似駅の近くにTSUTAYA琴似店、約3キロメートル離れたところに超大型店のコーチャンフォー新川通り店が開店した。TSUTAYAの開店で雑誌、コーチャンフォーで学習参考書(学参)の売上が激減した。くすみ書房の学参の売上は扱いジャンルのなかで最も大きかった。それが、半減してしまった。結局、売上規模は「売れない文庫フェア」を展開する以前にまで落ちてしまった。
 また、資金面でも苦心していた。「売れない文庫フェア」で名前が知れ渡った頃に、都市銀行からカードローンによる貸出の誘いを受けた。通常の融資よりも高金利ではあるが、取引先への支払いを滞らせるわけにはいかないと数千万円を借りてしまった。その返済が、先の2店舗が出店した07年頃から苦しくなってきたのだ。
 もうこのまま続けても……と思っていたなか、1件の出店依頼が舞い込んだ。くすみ書房のファンというデベロッパーからの熱烈なラブコールだった。しかし、出店するにも、借金はあれども、潤沢な資金などない。当然、最も大きな負債を抱える取次も了解はしない。4度目の交渉で、費用も比較的かからない店舗移転案が浮上。粘り強い交渉の結果、銀行から借入もでき、取引先の了解も取り付けた。

■琴似から大谷地63年の灯に幕

 09(平成21)年9月19日、琴似で63年にわたって本を売り続けたくすみ書房の火が消えた。最終日には多くの客が駆け付けた。一人の客から邦晴氏に花束が手渡された。地上波のテレビだけでなく、インターネットの動画でもその模様が放映された。書店の売り場はなくなったが、ソクラテスのカフェや本社機能、教科書販売などの外商はこのビルに残った。
 9月29日、わずか10日で新天地・大谷地(札幌市厚別区)にて、新生・くすみ書房がスタートした。話題の店とあって、オープン日も多くのマスコミが取り上げた。そのおかげで、売上は旧店の2・5倍、客数は3倍に増えた。開店当初はご祝儀のようなもので、売上はある程度とれる。肝心なのはこれからだ。
 初年度は採算ラインとなる日商50万円を割り込み、40万円程度にとどまった。家賃などが以前に比べて増えていることもあり、赤字となった。2年目も採算ラインを超えることなく、赤字を続けてしまった。黒字化しないまま、融資してもらった移転費用が積み重なり、銀行への支払いが厳しくなった。取次から経営指導が入るも事態は好転しない。そうしたなか、ついに取次との最大の約束であった「1年間の100%支払い」が13(平成25)年5月期決算時に反故になった。これまで銀行への支払いを止めても、世話してくれた取次に支払ってきた。しかし、新学期の学参の売上が予想よりも落ち込んでしまったため、資金が回らなかった。くすみ書房は教科書・学参の売上がメーンで、新学期に売上が集中する。そのため、新学期の利益で会社を回していた。
 昨年5月期に取次に支払えなかった金額を翌6月末までに支払わなければ、商品を送ることはできないと最後通牒を受けた。約束を反故にしたのだから、当然の話である。邦晴氏は駆け回って、何とか、300万~400万円を用意したが、到底届かない。
 この事態を心配した長女がくすみ書房友の会(年会費1万円)への入会を緊急募集してもいいかと持ちかけた。13年6月15日に長女のホームページに「くすみ書房がなくなる」という特設サイトを開設し、友の会への入会を呼びかけた。著名な書店の閉店危機に、地元作家から顧客、さらにはくすみ書房を知らない人まで、総勢400人以上が入会してくれた。
 ついには6月末までに必要額を工面することができた。しかし、6月期の支払いが不足していたため、取次は書籍の品止めと毎月の請求額の100%支払いを求めてきた。支払いを遅延したペナルティであることは邦晴氏も十分承知していた。

■“奇跡”の連続で閉店危機を回避

 だが、前述の通り、くすみ書房は新学期シーズンの売上で毎月の支払い不足分をカバーするという資金繰りで運営してきた。毎月500万円以上不足することがみえている7~11月と翌年2月の支払いをざっと計算すると、途方もない金額になった。
 「多くの方に友の会に入会していただきました。その翌月に潰れるとなっては申し開きもできません。それで、ともかくできることは何でもやってみようと考えました。初めに、ある方のアドバイスで出版社や取引先への支援を依頼しました。これは当然、ほとんど反応がありませんでした。ただ、何社かからは温かい応援メッセージと支援をいただきました。途方に暮れていたときでしたので、とてもうれしかった。ですが、到底足りません。そんなときに、一人の顧客から応援したいとの申し出をいただきました。名前も知らない方でしたので驚きました」
 7月はこれで乗り切った。
 「8月は友人・知人たちが応援してくれました。9月はまったく当てがありませんでしたが、地元の企業経営者の方から、突然応援したいとの連絡をいただき、多額のご支援をいただきました。面識もない方でしたので、驚きました。その頃、東京の新聞社の方から電話をいただきました。知らない方でしたが、クラウドファンディングという資金集めの手法があるというのです。調べて実施することになりました。『奇跡の本屋をつくりたい』というプロジェクトを考え、これに対する支援をネットで呼びかけました。1カ月で目標の300万円を達成しました。実はこのとき、思いも寄らぬことが起きました。新聞各紙が取り上げてくれたクラウドファンディングの記事を見た数十人の方から、それとは別に寄付金をいただきました。合計200万円以上になり、11月も乗り切ることができました。翌年2月はある中小企業診断士の方のアドバイスで、個人への社債依頼で必要額が集まりました。実はこの方も初めてお会いした方でした」
 幾人もの助けを借りて、1年間、毎月100%の支払いをクリアすることができた。
 「くすみ書房に関心をもってくださった多くの人たちのおかげで、7月以降を何度も何度も救われ、乗り切ることができました。もう駄目だと思ったときに必要な方が現れるのです。私自身、自分に何が起こっているのか、不思議でなりませんでした」
 昨年6月から始まったくすみ書房の資金集めは、約1年で合計5200万円にもなった。そのうち、寄付金など返済の必要がないものを除いた3000万円を5年で返す計画になっている。その間には、社員とパート合計4人が身を引くと言って自ら退職していった。社員の1人は経営資金に充ててほしいと退職金の受け取りも拒んだ。
 経費を削減したので、経営は以前よりも改善したが、借入金の返済もあるため、しばらくは厳しい状況が続く。取次の品止めも解除されたが、一部の書籍の新刊配本はまだ断っている。雑誌の売上はコントロールできるが、書籍の売上を制御することが今はまだ難しいというのが理由だ。日商を10万円伸ばせば経営は正常化するという。そのためにはどうすべきか、それが悩みの種だ。

■中小書店は利益出ないビジネス

 「21%という粗利では家賃と人件費を払ってやっていくのは相当厳しい。経営者の給料を削っても店売で年に100万、200万円の黒字がでればいい方です。もしもこの規模の店売だけなら、あと5%の粗利がないとやっていけない。うちは教科書があるので、『外渉部』は利益が出ます。だから何とかやってくることができました。いま期待しているのは日書連で進めている外商扱いの雑誌の正味下げです。できれば10%、最低でも5%ほど下げてもらえれば、こうした町の書店にも希望が出てきます」
 中小書店は家賃を払ってしまうと利益が出ないビジネス――。邦晴氏はそう捉えている。「クラウドファンディングで出資していただいた方の依頼で、北海道の浦河町という町で本屋を作ることは可能かをテーマに講演しました。そこで話したのが『商売で本屋は無理。本屋が浦河にあることを目標とするのであれば可能』ということです。ほかにも、家賃がかからない場所を探す、借金しないなど条件を設定しました。これは案外本屋のあるべき姿なのかもしれません」。
 13~14年にかけて、奇跡ともいえる展開で、くすみ書房は存続を許された。その当時は、自分がなぜそこまでして書店を続けたいか、自分自身にも分からなかったという。ただ、「気が付いたら、やめられなくなっていたというのが正直なところ」とも話す。

■妻と息子の死を乗り越えて

 11年10月に妻がガンで他界したことも関係がある。その日から今日まで1日も仕事を休んでいない。「もし家内が生きていたら、おそらくここまで捨て身にはなれなかった。あらゆることが書店をやれと言っているように思わせた。多くの人に支援してもらっています。そのやり方に批判があるのも承知しておりますし、そう言われたら、ただただ、頭を下げるしかありません」。
 「ただ、2人の死の意味を今も考えています。息子や家内はなぜ死んだのか。そのおかげなのか、くすみ書房は有名になりました。だが、もちろんそんなためではない。彼らの死と引き換えになったものは何なのか。考え続けているうちに、様々な人の人生が本に出合って左右されるような、そんな大きな社会貢献ができなければ、2人の死を活かしきれないと思うようになりました。それで書店を続ける2つの目的ができました。本屋のない町の子どもたちのために本屋をつくる、そして本を読まない子どもと学生に本の面白さを伝える――。このために本屋をやっていこうと思うようになりました。もちろん、支払いの件で迷惑をかけ続けているわけですから、その返済が一番の目標ではあります。それでも私が本屋を続ける目的は、あくまでもこの2つだと思っています」
(了)







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