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評者◆間庭大祐
差別の政治化――アレントの全体主義論からヘイトデモを考える
No.3185 ・ 2014年12月06日




■「ユダヤ人は絶滅しなければならぬ寄生者であるという何百回も繰り返された言明の結果、人びとは組織的な絶滅のプログラムを信じるようになったのだ」。これはハンナ・アレントが『全体主義の起原』のなかで述べた言葉である。私には、この彼女の言葉が、現今の「在日特権」のような根拠なき妄想を信じるネトウヨやヘイトスピーカー、ならびに彼らを許容する現代社会の特徴を見事に言い当てているように思われる。そこで、ここでは、昨今の日本社会におけるヘイトデモを考えるうえでのアレント思想の今日的意義について語ってみたい。
 アレントは、全体主義支配の本質をテロルに見出す。テロルは、人間が自発的に考え、行為し、発言する自由を徹底的に破壊する。言い換えればテロルは、人間に常に同じ行動をとらせるように仕向け、したがって「動物ですらないもの」に変えようとするのだ。これは、人間の非人間化である。こうしたテロルの暴力性を正当化し、その冷酷さを人びとの意識に積極的に受け入れさせるものがイデオロギーである。
 むろん、イデオロギーの実体は観念を利用した単なる似非科学にすぎない。しかしイデオロギーは、ありもしないユダヤ人陰謀説を信じるような、経験的で現実的な世界を蔑視し妄想的で観念的な世界に生きようとする者に対して、虚妄な世界観を提供する。では、このような世界観を欲する人間とはいかなる人間なのか。アレントはこの問いに、それは「世界」から「見捨てられた人間」だと答える。
 アレントは、「世界」において複数の人びとがコミュニケイティヴな共同性を生成することと、そのようなものとしての「世界」が人びとに現われること、この二つの根源的な連関に視点を据える。彼女から見れば、「見捨てられた人間」は、他者との共同性から見捨てられ「無世界」であるがゆえに虚妄な世界観に頼らざるをえず、きわめて意識的に自己の観念へ閉じこもるのだ。なぜなら彼らには、イデオロギー的な世界観と矛盾することで自分自身の寄る辺を失ってしまうのではないかという不安の心理が働いているからだ。この心理によって、彼らはさらに現実から逃避し、イデオロギー的世界観から生まれる自己観念を養うために、常に自分の憎悪の対象を生産し続けねばならなくなる。ここにおいて彼らは、みずから進んでイデオロギーを拡散する一個の拡声器へと変貌するのだ。この生成変化は、すでに彼らが、イデオロギー的世界観に基づいた妄想をあらゆる手段を用いて現実化しようとする能動的な態度を獲得していることを意味する。彼らはこう言うであろう、「間違っているのは〈現実〉のほうだ、我われの行為こそ〈真理〉である」と。そして彼らが組織的な運動体を形成するとき、テロルが実行に移される。その運動体は、暴力を用いてイデオロギーを現実化しようとするのだ。
 アレントにとって全体主義体制とは、テロルとイデオロギー、そして「無世界」という様態によって支えられた運動体である。むろん、その構成要素の一つに反ユダヤ主義が挙げられるのだが、しかしこれはもはや単なる差別感情(ユダヤ人への偏見・憎悪)ではない。反ユダヤ主義の政治的利用、いわば差別の政治化である。こうした差別の政治化は、排除し抹殺すべき「敵」を意識的に能動的に創出しなければならない原理と構造を内包している。こうなれば、もはや「ユダヤ人」が現実的に何であるのかはまったくどうでもよいことになるだろう。あくまで「ユダヤ人」は、差別の政治化のためのシンボルにすぎないのだから。
 たしかに全体主義体制は、テロル支配の純度という点において特異である。だがアレントは、見捨てられ「無世界」に生きざるをえなくなったという人間共存の基本的経験を現代の政治的土台と見る。とすれば、全体主義の悪夢は過去のものではない。彼女の見るところ、「世界」の喪失は、現代に生きる人間すべての精神史的問題の凝集点なのだ。したがって、我われの社会においていまだ消えざる潜在的な差別意識もまた、「無世界」によって政治化される危険性をもつ。あろうことか、現在では一部のメディアやタブロイド紙がその回路の役目を務めているのだ。現今の日本社会のヘイトデモも、ナチズムがその力を発揮しえた差別の政治化と極めて近似した現象として見ることができよう。とすれば、今もなお、アレントの言う「暗い時代」なのかもしれない。
 しかしアレントは、「複数」の人びとによる「世界」の共有を、すなわち隣人とともに生きることを人間としての最低限の矜持と見なした。このことを我われは、アレントとともに根源的な倫理性として深く受けとめるべきではなかろうか。つまり、他者とのコミュニケーションを通して、それまでの自分の行為を反省し、新たに自分を創造し定位し直すこと、したがって常に他者の誕生によって搖動される「世界」に根を下ろし生きること、これのみによって、新たな公的世界(政治)の可能性が開かれるのだ。
 ここで問われていることは、人間存在の「複数性」への承認である。それは翻って、自己観念への逃避を自覚的に拒否することであり、人間一人ひとりの「かけがえのなさ」への想像力を保つことだ。これこそ、「世界」の共有を可能ならしめる原理である。この原理を、人間が人間であるかぎり破壊しないこと、ここにアレント思想の深さと独創性、そして今日性があるのだ。
(立命館大学大学院社会学研究科博士後期課程)








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