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評者◆秋竜山
変化する「ちょっと、そこまで」、の巻
No.3185 ・ 2014年12月06日




■先号、小林隆・澤村美幸『ものの言いかた西東』(岩波新書、本体七八〇円)で、〈相手の領域に立ち入る〉と、いう項目の中に〈プライバシーや個人情報の保護に敏感な現代人の感覚すれば、「起キタカ」「ドコヘ行クカ」などと聞くのは、なんともぶしつけな感じがしてしまう。しかし、そうした立ち入った会話が挨拶代わりに普通に行われている地域が日本に存在する〉と、ある。挨拶としてこんなに便利な言葉が他にあるだろうか。そして、この言葉のすごさは、その場において〈いいたくなる〉と、いうことだ。「お早よう」とか「今日は」とか、ふき飛ばして、この言葉をつかいたくなってしまうということだ。「どちらへ」と、いわれたら「ちょっと、そこまで」という決まり言葉としてセットになっていて、両者が妙な、なごむ気分にさせられてしまう。
 梶原しげる『会話のきっかけ』(新潮新書、本体七四〇円)で、この言葉について取り上げられている。
 〈江戸時代のマナーを「江戸しぐさ」とよび、当時の規範を元に、沢山の本をお出しになっている越川禮子さんの『「また会いたい人」と言われる話し方』(教育評論社)にこのような内容が記されている。「どちらへ?」とは聞かないのがセンスのいい振る舞い。行き先を問わないのが〈プライバシーを尊重する上で〉常識。声をかけたいなら「お出かけですか?」が適切。聞かれた方は「ええ、ちょっとそこまで」と曖昧に返事ができる。江戸時代の人はプライバシーを大事にした。仮に相手が場所を告げてきても、それについて、そこはどこだ、こうだと余計なことを言わない。これが江戸人たちのお付き合いのコツだ―〉(本書より)
 江戸時代であるから、現代のように「ええ、ちょっと、そこまで、アメリカまで―」なんてことはありえない。ちょっとそこまでは、日本国内にとどまるだろう。江戸の人の、ちょっとそこまでは、すべて自分の足を使うことになる。時代によって「ちょっと、そこまで」が変化する。〈タクシーの座席はどこに乗るべきか〉と、いう項目では、
 〈「タクシーに乗る時、一番偉い人を後部座奥、運転手さんのすぐ後ろに座らせよ」マナー本には大抵こう書いてある。〉(本書より)
 でも、まてよ!! と、よく考えてみると、一番奥の席ほど肉体的に苦労させられることはないだろう。何回も身をずらせて、やっとの思いで奥に落ちついたと思ったら、今度はまたおりる時、同じことを繰り返さなければならない。そういうこともあろうと思って、こっちで気をきかせたつもりで「私が先に乗らせていただきます」と、いって奥へ座ったはいいが、なんともバツの悪い思いをしたことがあった。まず、どんなことがあっても「奥へどーぞ!! 奥へどーぞ!!」と、やってから一番後に自分がヒョイとドアの入口に座るべきである。
 〈外国では知らないが、日本国には新幹線や飛行機にも「上座」「下座」がある!という事をマナー本では熱く語っている。〉(本書より)
 上座は、自分から座る席ではないだろう。座らされる席であり、下座は自分からすすんで座るべきか。自分一人だけの時、上座に座っても、なんと間のぬけたことか。下座であっても同じだ。







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