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評者◆伊達政保
45年ぶりに聞く山本義隆氏の集会での発言――「10・8山崎博昭プロジェクト――50周年まであと3年」
No.3185 ・ 2014年12月06日




■元東大全共闘議長の山本義隆氏が初めて1960年代を語るというので、ネットで参加申込をして聞きに行った。山本氏の集会での発言を聞くのは、なんと45年ぶりだ。当時は議長ではなく代表ですと言っていたが、年月が経ちいちいちことわるのも面倒なので議長でもよしとしたのだろうか。この講演はインターネットのIWJアーカイブで見ることが出来る。60年から70年に至る経過と、このまま見過ごせば後の世代から責任を問われることになってしまうとする、現在の状況に対する山本氏のスタンスを分かりやすく伝えていた。
 集会は「10・8山崎博昭プロジェクト――50周年まであと3年」と題していた。1967年10月8日、ベトナム戦争に反対する三派全学連は、南ベトナムを訪問する佐藤栄作首相を阻止しようとし、羽田で機動隊と激突した。「第一次羽田闘争」である。激突の中、弁天橋で京大生の山崎君が亡くなった。当時、警察マスコミは学生の奪った装甲車での轢死と発表したが、死体検案書等から見て、機動隊員の殴打による死であったことは明らかだった。このプロジェクトは、日本が徐々に戦争に向かいつつある現在、50年後の2017年に弁天橋の近くに彼を追悼するモニュメントを造り、50年をふり返る記念誌を作ることを目的とするという。発起人には高校の同期生・詩人の佐々木幹郎、作家の三田誠広など、大学の同期生・社会学者の上野千鶴子、その他作家の高橋源一郎などが名を連ねている。山本氏も高校の先輩だったのだ。
 集会は満員で、山崎君が中核派だった為か、オイラの独断と偏見かもしれないがその関係者が多かったように思われた。ただこの間の反原発集会や集団的自衛権・特定秘密保護法に反対する集会では殆ど見掛けない顔ぶれだった。同じ三派でもブント系は経産省前テントや集会など、どこにでもいるのだがね。山本氏も何回か集会で見かけている。まあ組織のスタイルや事情にもよるのだろう。もしかするとこの集会は中核派のOBにとって画期的出来事なのかもしれない。
 10・8のヘルメットと棍棒で武装した学生と機動隊との衝突は、政治的ショックばかりでなく文化的ショックをもたらしたことを忘れてはならない。上杉清文など劇団「発見の会」の研究生は弁天橋の激突に参加し、一ヵ月後には『此処か彼方処かはたまた何処か』の歴史的公演を行っていった。岡本太郎はこれこそ原始的エネルギーの衝突だと感動し、若いジャズメンはより前衛的な奏法へと突入していく。地方のオイラの高校でさえ二日後の運動会の仮装行列には、ノンポリにもかかわらず全学連のヘルメットと棍棒スタイルが登場したほどだったのだ。







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