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評者◆小野沢稔彦
抵抗の歴史を物語る抵抗のドキュメンタリー――大津幸四郎監督『三里塚に生きる』
No.3184 ・ 2014年11月29日




■まず、映画のラスト近くにある印象的なシーンについて書こう。そのシーンは「三里塚闘争」を象徴する存在であった、伝説化された大木よねさんの死後、様々な曲折を経て権力に収奪されていた彼女の耕作地が回復され、今は彼女の遺志を継ぐ養子によって、今日も耕作され続けているシーンなのだが、しかし、そこは今、空港に包囲され、いわば沖縄に見られる「黙認耕作地」の如くに空港の中に孤島のように存在する大地なのである。
 その大地を黙々と耕作する小泉英政さんの頭上には巨大な飛行物体が、あたかも小さな存在も耕作地も、そして歴史をも圧殺するかのように「国家の力」として抑圧的にのし掛かって次々と通り過ぎる。更に――このシーンだけでなくほとんど全編を通じて――そうした自然や人間を無化するように轟き続ける飛行機の爆音が、その抑圧性を強化する。
 そして言っておこう。人間と空間全体を我がものとしようとする「国家の力」に抗して黙々と耕作を続ける人がおり、その人はこの大地に自らの手で種を播き、大地を活かし続けるのだ。種播く人、その行為と国家に収奪されざる大地こそが、まさに〈抵抗〉そのものなのであり、戦いの歴史そのものなのだということを、これ程見事に表象したドキュメンタリーは、ここ十年程この国にはなかったのだ。監督=大津幸四郎の数十年の三里塚経験、その戦いの記憶を身体に刻み込んだ身体行動によって生まれた圧倒的な力業=大津が生んだ見事なショットによって生み出される、これこそがドキュメンタリーの持つ想像力の深い刻印となってここにあり、私たちを撃つ。百姓と自然の生のリズム、呼吸……そうした全てを捉える映画の息遣い――ここに「三里塚」映画の見事な達成がある。
 ワンショットの裡に抑圧的な国家性とそれに抵抗する人間と大地とを捉えたショットは、実はファーストシーンから続き、その裡で戦後のこの国の民衆抵抗運動の集約であった「三里塚闘争」の今日に至る歴史、勿論、歴史とは様々な曲折と渦中にあった人々の矛盾や誤解、そして相互不信、更には様々な死の現実などの複雑に曲がりくねった時間であるのだが、そうした闘争の総体を映画は、今日の時点で――戦いは続いており、今も続く抵抗のあり様を視つめることと共に――問い直し、歴史とは私たちの現代史そのものだということを鮮明に私たちに突きつける。
 三里塚の現在とは、この映画で改めて問われるように、実に中世に始原を持つ部落(その辺田部落の描写は圧倒的である)と戦後の開拓入植地(戦地からの引き揚げ者を中心とする)の人々と空港反対闘争の過程で流れ込み生活を始めた人々など、多様な語られることのない被抑圧の歴史を持つ「百姓」が、この国の歴史の中で初めて、自らの物語を語り、この戦いとは自らの歴史を意志的に生み出そうとしてきた軌跡であること、その歴史への問いと自らの物語を作り続ける持続する試行こそが実は戦いであり、歴史への意志であることを、大津は百姓と大地に寄りそって紡ぎ出す。
 しかし、この映画で語られる多様な民衆の歴史とは、多くの場合、直接的対峙戦のみに目を向ける視点からは、表面的に「挫折」として語られることになる苦い時間なのだが、それを自らの物語として語る、その問いの中にこそ、紛れもなく歴史を問おうとする抵抗の運動があるのだ。ともあれ大地とそこに生きる人間を、そのあり様そのものが戦いの歴史そのものなのだ、とこれ程鮮烈に描き出した映画は、これまでないのだ。
 映画は人々の物語――それは三里塚と一貫して関わってきた大津によってしか紡ぐことはできない――を重層的に語る。おそらく三里塚闘争の四十年の時間の中には、戦後民衆運動が到達した、そしてまったく新しく切り拓いた独自の戦い――自立したそれぞれの百姓の存在の底からの深い生の希求としてあった――の多様な蓄積があり、この映画を通してそのことが改めて問い直される時、そこには民衆の新しい戦いの展望が拓かれるだろう。同時に、闘争にまつわる負の遺産――否、もっと生々しい無惨な、目を向けたくない現実――が重層的にあり、人々はその負の歴史をも背負い続けてきたのであり、そうした側面にも三里塚の人々は目を向け続けているのだ。自らが切り拓いた大地と共に生きる戦いの現実を民衆の〈歴史〉とするために。その運動をこそ映画は浮上させる。
 だから『三里塚に生きる』は完結した「作品」としてではなく、現代史そのものの鮮やかな表象として生きたドキュメンタリーとして私たちの前にある。したがって次の映画のために追記として次のことを言っておこう。
 (1)あの闘争の一角を担った「少年行動隊」の人々――おそらく今は五十代半ばになっていよう――の、私の物語を必ず紡いでほしい。あの時代の出来事の最も周縁――中心でもあると同時に――に彼らはいたはずだし、その後の歴史をどう生きたか、はぜひ問う必要があるだろう。
 (2)この映画を占拠するノイズは爆音であり、それに対抗するものは、大地と人々の〈音〉(息遣い)なのだ。観念で作られた「音楽」など、まったく無意味ではないか。完結した作品にしようとする――編集者の意志か――方向ではなく運動する映画として、多様な生きた音こそを組み込むべきではないか。
 (3)安易に使われる無惨なインタビュー――それが不必要だと言っているのではない――はなんとしたことか。それぞれの物語を紡ぐ方法はかつての小川プロ『三里塚映画』に学ぶ必要があろう。
 以上、三点を今後も続くだろう三里塚への問いのために記しておく。ともあれ大津幸四郎監督の『三里塚に生きる』は、ここ十年程のドキュメンタリーの中でも圧倒的に刺激的な映画であるのだ。

『三里塚に生きる』は、11月22日(土)より、
渋谷・ユーロスペースにてロードショー、以下全国順次公開。
〓三里塚に生きる製作委員会







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