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評者◆秋竜山
テレビでは映画づくりはしない、の巻
No.3183 ・ 2014年11月22日




■時代は、その時の空気である。時代を語るということは、その時の空気を語るということになるだろう。「アァ、昔はよかった」と、よくいう。別のいいかただと「アァ、あの時の空気はよかった」と、いうことになる。「あの頃は、すごかったなァ」とは、「あの頃の空気は、すごかったなァ」が正しいだろう。空気とは、目に見えないものであって、それをすって生きている。時代劇映画がすごい勢いで封切られていった時、みんな、わけがわからなかったのである。「みなさん、これはすごいことですよ!!」なんて、いったヒトは一人もいなかった。チャンバラ映画ともいった。子供たちは、山から木を切ってきて、それをけずって木刀をつくった。それを腰にさして、村中の子供らが集合する原っぱへ走った。チャンバラごっこである。時代劇映画がもたらした、非常に時代にマッチした当時の児童の正しい姿であった。春日太一『なぜ時代劇は滅びるのか』(新潮新書、本体七二〇円)を読むと、あの時代の時代劇の動向がよくわかる。
 〈一九五〇年代はまだ戦後復興の続く貧しかった時代で、娯楽も少なかった。だから出来に多少の不満があろうとも観客はとりあえず映画館へ足を運んだ。戦後、右肩上がりで映画は観客動員を増やしており、一九五七年には全国映画館入場者数は十億人を突破した。赤ん坊まで含めた国民全員が年間に十本以上の映画を観ているという計算になる。だが、一九六〇年代に状況は一変する。(略)一九六一年には八億人台に減少、(略)一九六三年には最盛期の半分の五億人になってしまった。〉〈時代劇映画は一九六〇年に年間百六十八本が製作されている。それがわずか二年後の一九六二年には半分以下の七十七本に減った。(略)一九六七年にはわずか十五本しか製作されなくなっていた。最盛期の十分の一である。〉(本書より)
 こんな馬鹿なことがあってたまるかと、怒り狂ってしまうほどだ。著者が、この本を書かずにはいられなかったことが想像つく。そして、本書では、あらゆる角度から〈なぜ時代劇は滅びるのか〉を解明している。「やっぱり、そーか」と、思ってしまう。原因は何か、となった時、アレである。空気が変わったのである。映画からテレビへと時代は流れた。この流れは誰もとめることはできなかったのだ。第一、テレビ文化は、寝そべり文化でもある。茶の間で寝そべっていれば画面をとどけてくれるのだ。映画だって、茶の間に寝そべっていればよかった。と、思うだろうが、私はそーは思わない。テレビでは映画づくりはしないということだ。テレビは、テレビドラマをつくるのである。テレビにとって劇場用の映画づくりなど必要ないだろう。テレビは、テレビドラマだろう。お茶の間用のテレビドラマだろう。テレビの寝そべり文化の前には映画館の寝そべって映画を観ることができない文化は、たちうちできるわけがない。茶の間でのテレビ文化も近年ではもう古いとさえいわれている。ポケットにいれてそれを取り出し歩きながら画面を観るようになった。その内に手のひらサイズドラマの時代になるだろう。やっぱり、空気が変わったのか。いい空気をすいたいものである。








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