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評者◆前田和男
若きLGBT人権活動家・尾辻かな子の巻⑯
No.3182 ・ 2014年11月15日
■出版によるカミングアウト
支援者の強い反対にあって尾辻は議会でのカミングアウトに窮した。それが“筋違い”というのであれば、それ以外に誤解と違和感を抱かれないいい手はないか、多方面の人々と相談をしているうちに、本を書くことに思い至った。ツテを頼ってあたった結果、講談社が引き受けてくれた。その仲介者とは東京HIV訴訟(薬害エイズ事件)原告の川田龍平(後に参議院議員)。彼は同社から『龍平の未来――エイズと闘う19歳』を出版、桂むつことのつながりで尾辻の選挙の応援にも来てもらった縁によるものだった。 しかし、せっかく大手からの出版が決まりなんとか原稿を書き上げたところで、不安がつのった。そうとは知らずに投票用紙に「尾辻かな子」と書いてくれた有権者に果たして受け入れてもらえるだろうかと、固形物がのどを通らなくなった。 出版の直前、尾辻が所属する無所属系の会派「主権おおさか」の同僚議員8人と神奈川県に視察旅行に出かけた折、「本を出してレズビアンであることを公表する」と切り出したところ、ある男性議員から「全員がそうやと思われたらどうすんねん」とつぶやかれて、議員ですらこの程度なのかとショックを受け、出版への不安がいっそうつのった。 そして8月13日、いよいよ著書『カミングアウト 自分らしさを見つける旅』が書店に並んだ。すでに前日から新聞に、「大阪府議レズビアン公表」「同性愛者と告白本」などと興味本位の見出しが躍った。翌14日、大阪府の平和式典に出席したが、親しい同僚議員から「新聞で見たよ」の声もかからない。目を合わせようとしない府の幹部もいた。腫れ物に触るような扱いに、やっぱり隠し続けるべきだったのだろうかと落ち込んだ。 事務所にも「異常な人が公職についていいんか」といった電話がかかってきた。支持者に郵送したニュースレターが「迷惑」と書かれて返送されてきたりもした。 本を出版する以前に、性同一性障害を公表して世田谷区議になった上川あやに相談したところ、「私も張り紙や殴り込みとか嫌がらせされた。でも地道に活動していけば、理解してもらえる」と励まされたことを思い出した。事実そのとおりで、日を追うごとにホームページにメールが寄せられ、その数は200通を超えたが、そのほとんどが次のような当事者からの激励や共感だった。 「何も悪いことをしているわけではないのに堂々と生きられないことはつらい。勇気をもらいました。ありがとう」(性同一性障害の22歳) 「両親に理解してもらいたいけど一歩踏み出す勇気がない。尾辻さんが背中を押してくれるような気がする」(26歳男性) 「やっぱりやってよかった」と尾辻を何より元気づけたのは、家族――とくに母親の理解を得て家族の絆がかえって深まったことだった。 あと1週間もすれば本が書店に並ぶというとき、沖縄の病院で研修医をしていた兄の健太がたまたま神戸に帰省しており、久しぶりに一家4人で会食することになった。そこで見本を示して遅ればせながら出版の報告をした。 父親には、大阪府議選に出るときに、「いずれ公に告白する」と告げたところ、父親独特のこんな言い回しで理解を得ていた。 「最近の世界を見てて思うんだけどな、キリスト教とイスラム教がおたがいの正義を振りかざして戦争をしている。神様がいても、結局、正義なんてものはひとつじゃなくて、それぞれの正義があるってことだと思う。絶対的に正しいなんてはっきりしたものはない。だから何が正しくて何が正しくないかは、いえないことや。かな子が判断したら、それでいいと思う」 問題は母親の孝子だった。夫のいつもの「物わかりの良さ」と「煙に巻いたような物言い」に気楽なものだと内心反発を覚えながら、「お母さんにはよくわからへんけど、あんたの人生はあんたのものちゃう?」と、半分諦め気味に言葉を返したが、心中では納得はしていなかった。だから、その後、選対で娘のカミングアウトが否定され、議員になってからも事務所の事情や支援者の反対で先送りになって正直ほっとしていた。できればこのままの状態でいってほしいし、いくのではないかと期待していた。 ところが、今度ばかりは見本までできているのだから万事休す。「もうアカン、ついにばれてしまう。親戚からは『即時出版停止しろ』といわれるだろう(事実そういう強硬意見も上がった)」と頭が真っ白になった。やがて白い頭に浮かんだ言葉は「家族崩壊」だった。そんなネガティブな孝子の気分をポジティブに転換してくれたのは長男の健太だった。妹の決断を知らされた兄は口を開くとこう言った。 「喘息とアトピーという持病よりも僕がしんどかったのは僕を見つめる世間の人の目や、冷たい目や。かな子も僕と同類や。そんなかな子が自らマイノリティだと公表して同じ悩みをもつ仲間を応援しようという本を出すんやったら、僕は応援する。それが家族と違うんか」 その言葉が孝子の胸に突き刺さった。息子はアトピーと喘息で授業の3分の1も出られず、高校1年で退学するしかなかった。孝子は息子のアトピーと喘息を治そうと病院やカウンセラーを連れ歩いた。それが母親の愛情だと思っていた。しかし治すことばかりに気持ちがいって息子が世間から冷たい目で見られて悩んでいることに思いが至らなかった。 娘のかな子に対しても同様だった。6年前に告白を受け「(LGBT関係の)本を読んでみたら」と勧められたときも、読んだら知ってはいけない世界を知ることになるのではと恐れて読もうともしなかった。しかし、今度は娘自身の本を読んだ。読んで、息子への接し方同様、「なんて情けない親だったのか」とわが身を恥じた。 思えば、娘が家を出てひとり暮らしをしたいと言ったときも、娘が抱えている苦しみに思いも至らず、知ろうともしなかった。兄の健太もそうだが妹のかな子も世間の冷たい目に苦しみながら、よく頑張った。娘がマイノリティであれ何であれ、どんなことがあっても自分の娘に違いはない……。孝子はそう得心すると、娘が抱える――ということは母親として自分も抱える共通の現実から逃げることなく向き合おうと決心したのだった。(文中敬称略) (つづく) |
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