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評者◆明戸隆浩
「ヘイトスピーチ規制」の是非について的確な議論を日本には人種差別を禁止する法律すらいまだにない
No.3181 ・ 2014年11月08日
■今年八月、国連人種差別撤廃委員会から日本に対して勧告が出された。日本が人種差別撤廃条約に加入して以来三回目の勧告だが、メディアやSNSなどでの注目度は、これまでの二回に比べて群を抜いて高かったように思う。
こうしたことが起きたのは、やはりこの一年半ほどのあいだに「ヘイトスピーチ」という言葉が社会に普及したことが大きいだろう。実際多くのメディアが注目したのもヘイトスピーチに関わる勧告であり、そのために「国連がヘイトスピーチ規制をすべきだと言った」という形でこのニュースを記憶している人もかなりいるのではないだろうか。もちろんそれ自体は必ずしも間違いではないのだが、しかし国連人種差別撤廃委員会というのは、名前のとおり「人種差別」全般を管轄する委員会である。今回の勧告を的確に受け止めるためには、ヘイトスピーチという問題が「人種差別」全体の中でどういう位置づけにあるのか、このことをきちんと把握しておく必要がある。 人種差別撤廃条約では、人種差別は「人種、皮膚の色、世系又は民族的若しくは種族的出身に基づくあらゆる区別、排除、制限又は優先」と定義されている。こうした定義を聞いて多くの人が思い浮かべるのは、おそらく人種や民族を理由にしてある人を解雇したり、住居を貸さなかったり、店に入るのを拒否したりすることだろう。実際人種差別撤廃条約ができたのも、アメリカでこうした人種差別を禁止する「公民権法」が成立した翌年の一九六五年のことだ。いずれにしても、少なくとも六〇年代以降は、こうした直接的な意味での「人種差別」はほとんどの国で明確な禁止の対象となっている。 これに対してヘイトスピーチに対する「規制」をめぐっては、人々の意見は二分しがちだ。それはやはり、ヘイトスピーチが「表現」だからだろう。ヘイトスピーチの例としてよく取り上げられる「○○人を殺せ」「○○人を追い出せ」といった主張は、それ自体は確かに聞くに堪えないほど酷いものだけれども、実際に殺したり、追い出したりすることそのものではない。実際、直接的な人種差別については公民権法で禁じているアメリカでも、憲法修正第一条で規定している表現の自由に反するという理由で、ヘイトスピーチについては規制を行っていない。 では、こうしたヘイトスピーチと最初に挙げた直接的な差別が「別物」なのかと言えば、もちろんそんなことはない。第一に、ヘイトスピーチは直接的な差別を「煽動」する効果を持つ。「○○人を殺せ」「○○人を追い出せ」といった主張がなされても、それはすぐにそのとおりに実行されるわけではない。しかしそうした主張が重なることで、「○○人」に対する差別の敷居は確実に下がっていく。「殺せ」とか「追い出せ」とか言われているくらいだから多少差別的に扱ってもかまわないのではないかという雰囲気、言うなれば差別を許容する「空気」がつくりだされるのだ。そしてそれによって、「○○人」に対する雇用差別や住居差別、さらには○○人を標的とした殺人や暴行(これらは一般に「ヘイトクライム」と呼ばれる)など、直接的な差別が増加する可能性が高くなる。つまりヘイトスピーチそれ自体は確かに「表現」だけれども、結果として直接的な差別を誘発する効果を持つのだ。 そして第二に、ヘイトスピーチはその対象となる人に対して直接的な差別と同じような効果をもたらしうる。たとえば、ある店が「○○人お断り」という看板を掲げているとすると、これは「入店拒否」という形で直接的な差別にあたることになる。では、この店がその看板を外し、代わりに常連客と「○○人にこの国に住む資格なんてないんだよ!」などと大声で話しながら営業するとしたらどうだろうか。もしあなたが「○○人」であったとしたら、前者の場合はもちろん、後者の場合でもそんな店には入れないと思うはずだ。つまりヘイトスピーチという「表現」は、条件によっては、直接的差別とほとんど変わらない効果をもたらすのである。同様のことは、「ヘイトスピーチが行われるような場所に行けなくなる」「ヘイトスピーチが横行するようなネット上のサービスを利用できなくなる」といった形でも起こりうるだろう。 以上見てきたように、ヘイトスピーチと直接的な差別は、実際には切り離しがたい関係にある。しかしここでは、こうしたことを強く確認した上で、あえて書いておきたい。それでも重要なのは「直接的な差別」に対処することのほうだと。その理由は簡単で、日本にはヘイトスピーチ規制以前に、直接的な差別を禁止する法律(つまりアメリカの「公民権法」にあたるもの)すらいまだにないからである。「(直接的な)人種差別はいけない」ということが法律に明記されていない状況で、「ヘイトスピーチは直接的な差別を煽動しうる」とか「ヘイトスピーチは条件次第で直接的な差別と同じような効果をもたらす」とか言ったとしても、それは必ずしも説得力のある議論にはならない。 その上で最後にダメ押しをすれば、人種差別撤廃条約には、本来は、人種差別禁止法を整備するということを前提に加入すべきものである。日本が人種差別撤廃条約に加入して来年で二〇年、十分に遅すぎる話ではあるけれども、まずやるべきはその「本来」を確認する作業だろう。「ヘイトスピーチ規制」の是非についての議論を的確に行うためにも、まず必要なのはそのための「土台」である。 (多文化社会論/関東学院大学ほか非常勤講師) |
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