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評者◆秋竜山
感傷の秋と哲学、の巻
No.3178 ・ 2014年10月11日




■なぜかきまって秋になると、哲学的になる。哲学ほどピンキリの差がはげしい。私はキリ的。枯葉に哲学を感じとる。枯葉が枝からはなれる瞬間の音を感じとり、ハラハラと裏表に舞い落ちる何秒かの時間に「哲学的だなァ」などと、わかったようなわからないような見当はずれの溜息をつく。感傷の秋。秋にうまれる感情ほど、哲学をしている気分にさせてくれるだろう。清水真木『感情とは何か――プラトンからアーレントまで』、ちくま新書、本体八〇〇円)。哲学が先か、驚きが先か。プラトンは感情における二種類は、「びっくり」と「驚嘆」である、と本書にある。そして、私は何にびっくり驚嘆したかというと、大哲学者である、あのニーチェが、哲学であまりにも有名な言葉、「私とは何者なのか」と、いう問に、次のように答えているからだ。
 〈ニーチェは、晩年の著作「道徳の系譜学」において、次のように語っています。(略)私たちには、自分のことがわからないし、私たちは、自分のことを取り違えざるをえない。私たちにとり、「誰にとっても、自分はもっとも遠い存在である」(略)ということこそ、永久に通用する法則なのである―私たちは、自分のことについては、「認識する者」などではないのだ。〉(本書より)
 あのニーチェに〈私とは何者なのか〉を、きっぱり「わからない」と、いわれると、それでは、誰がわかるのだ!! と、いいたくなってくる。やっぱり、神のみぞ知るという逃げ場を求めてしまうのか。困ったときの神だのみ。神をひきあいにだせば丸くおさまるか。もし、この問を自分に一番近い人になげかけてみたらどうか(わかるわけがないとしても、だ)。両親である。まず、目をパチクリさせるだろう。「お前、大丈夫か!!」というセリフが飛び出すはずだ。「私とは何者なのか」など、哲学以外に、このようなセリフがまかり通るはずもない。いきなり我が子から、「お父さん、お母さん、私は誰でしょう」と、いわれて、ギョーテンしない親はいないだろう。テレビのクイズ番組でも出ない問題である(誰もわからないだろうから)。話している間に、その意味がぼんやりと、わかってくる。「なんだ、それを先にいえ!!」と、両親。ところが、今度は両親が「オイ、俺たちは何者なのか」。そこで、わかってくることは、「私とは何者なのか」と、いう両親から、「私とは何者なのか」が、わからない子がうまれてくる。その繰り返しで人類の歴史をつくりあげているということである。
 〈「私とは何者なのか」という問は、もっとも重要な問です。すでに古代ギリシャにおいて、七賢人の一人に数えられるソロン(紀元前六三九年ころ~五五九年ころ)は、「汝自身を知れ」という言葉をデルポイのアポロン神殿に遺しました。抒情詩人ピンダロス(紀元前五二二/五一八~四四二/四三八年)の手になる作品には「自分がいかなる人間であるか学んで、その通りになりたまえ」という言葉を見出すことができます。〉(本書より)
 秋のふかまりの中で本書を手にして、思索するのもよいのではなかろうか。







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