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評者◆秋竜山
記憶を持っていない自分、の巻
No.3177 ・ 2014年10月04日
■「記憶にございません」と、いう言葉が流行語のようになり、世の中には便利な言葉があるものだと思えたものの、同時にうまく逃げたな!!とも思えた。そして非常にふざけた言葉であるとも思った。その昔、ラジオのメロドラマで「忘却とは忘れ去ることなり……」というような、まじめくさった口調のナレーションがあった。記憶があるからこそ忘却があるのだろう。記憶も忘却も、もう記憶にありません!!と、いう時代になってしまったようでもある。高橋雅延『記憶力の正体――人はなぜ忘れるのか?』(ちくま新書、本体八四〇円+税)に、〈幼い頃の古い記憶〉と、いう項目がある。
〈日本人の大学生一一〇名(男六六名、女四四名)を対象に、もっとも古い記憶について尋ねた研究では、一~二歳の記憶を覚えている学生も若干は見受けられましたが、三~四歳頃が一番多いことがわかっています。この現象は、日本の大学生だけに限定された結果ではありません。一〇〇年近く前から世界中で研究されてきましたが、いずれも、もっとも古い記憶は三歳前後でした。〉(本書より) あまり記憶力のよくない私にも、「そーいえば、あれは……」という記憶のようなものがある。最近のことだが、生家のある田舎へ帰った折、隣の姉さんと昔話がはずんだ。その隣の姉さんのいうのに「お前が、たしか三つぐらいの時だと思う。素裸のスッポンポンで、おチンチンを出して、ナベ(当時は鉄ナベ)を、とってのところへヒモでゆわえて、それを首にぶらさげて、棒切れでガンガン打ち鳴らして近所を飛びまわっていた……」と、いう話であった。「おぼえているかい?」と、聞かれたが、残念ながらおぼえてはいなかった。よく考えてみたが、やっぱり記憶はなかった。しかし、家の近所のまわりは昔のままでちっとも変わっていないので、そこを、三つぐらいの私が飛びまわっている姿を想像したりすると、あたかも記憶に残っているような気がしてこなくもなかった。今の時代では考えられない、昔の田舎の子供の遊びの風景でもある。三歳だから記憶にないのであって四歳だったらあったかもしれない、とも思った。三歳と四歳の違いはあるようなないような、記憶に関してはビミョウに違いはあるのだろう。よく母親が同じようなことをいった。私には記憶にないことだから、やっぱり三歳頃だろう。それは母につれられて隣村の床屋へよく行ったということである。床屋の椅子に座るたびに私は大泣きをしたらしい。そんな時、母は決まったように用意してある当時の人気マンガ本を見せたという。すると、ピタッと泣きやんだといった。後になって、なんというマンガ本であったのか調べてみたがわからなかった。私がその本に興味あるのは、私の初めて見たマンガ本であるということと、その本が記憶にないということである。これも、やっぱり四歳頃だったら、おぼろげながら頭の片すみに記憶が残っていたかもしれない。母のアルバムに母にダッコされている赤ん坊の時の写真がある。生後三カ月と書かれてある。たしかに自分である。記憶を持っていない自分だ。 |
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