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評者◆伊達政保
中国革命から日本革命、そして世界革命へ
北一輝――革命思想として読む
古賀暹
No.3177 ・ 2014年10月04日
■昨年亡くなった、地域の古い友人である共産主義者同盟首都圏委員会(旧情況派)の川音君から、これ伊達さんなら面白いんじゃないの、と雑誌「情況」に古賀暹氏が北一輝について書いているのを知らされ、連載を読んでいった。確かにこりゃ面白い。父親が二・二六事件に連なっていたことでも知られている。あの共産主義者同盟情況派の古賀氏だよ。面白くないわけが無いじゃないか。その連載がようやく本として出版された。古賀暹著『北一輝――革命思想として読む』(御茶の水書房)である。
本書において古賀氏は、北の著作である『国体論及び純正社会主義』『支那革命外史』『国家改造案原理大綱』を、北自身が言うように「不惑一貫」の革命思想として読み解こうとしている。これまでの多くの論評・研究において、殆どの論者が北の思想の変転の軌跡としてこれらの著作を扱っているが、それに真っ向から反する見解である。とりわけ中国革命・辛亥革命に対する北の献身を、北の若き同志であった張群が、終戦後、中国代表として国賓待遇で来日した際、北一輝の位牌に線香を手向けるためにわざわざ訪れたという、著者自身の幼い日の体験を踏まえて解き明かそうとしている。北や宮崎滔天など、方向性は違ったものの日本人が積極的に関わった辛亥革命について、今や日本人は殆ど忘れちまっている。数年前に公開されたジャッキー・チェン主演の大作映画『1911(辛亥革命)』など、歴史がよく分からないという理由から全くの不入りだったそうだ。そうそう思い出した。オイラ水滸伝研究会の故・黄成武先生から、辛亥革命について北一輝とトロツキーは必読ですと言われてた。 『国体論及び――』は「実在の人格である国家」を社会有機体論と社会進化論から位置付けており、単純な国家社会主義者ではないとする。日露戦争に対しても反戦メンシェビキと革命的敗北主義レーニンに対応するように、片山潜と北一輝(内田良平も忘れちゃいませんか)を対応させ、ありゃどっかで呼んだと思ったら同じブントの血筋は争えねえ、平岡正明氏が同じようなことを言ってたっけ。『支那革命――』の分析はやはり本書の白眉、「実在の人格である国家」の形成を北は中国に託したのだ。そこが孫文らの西欧民主主義者と異なるところ。北にとって中国革命のための日本であって、日本のための中国革命ではないのだ。『国家改造――』も、中国革命のための日本改造だと古賀氏は位置付ける。そして二・二六事件。平岡氏など『支那革命――』にチラッと垣間見える、中国革命から日本革命、そして世界革命へと展開していってしまうのだ。しかし、本書は面白い。 |
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