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評者◆岡一雅(MARUZEN&ジュンク堂書店梅田店)
今、中世史が本当に面白い!
源実朝――「東国の王権」を夢見た将軍
坂井孝一
No.3176 ・ 2014年09月27日




■およそ一五〇年余続いた鎌倉幕府。しかしながら、初代将軍源頼朝の血脈はその子――頼家・実朝二代で途絶えてしまう。特に雪積もる鶴岡八幡宮社頭で、甥・公暁に暗殺された実朝の最期は、余りにも劇的な情景であり、強い印象を残す。
 実朝は私家集として『金槐和歌集』を編み、勅撰和歌集にも撰ばれるほどの歌人である一方、頼朝没後の幕府主導権を掌握した北条氏の存在が、実朝を政治ではなく和歌や蹴鞠といった公家趣味に没頭させた……とこれまでは考えられてきた。
 事実、幕府の公式記録『吾妻鏡』に「当代は、歌・鞠を以て業となし、武芸廃るるに似たり」と記された実朝評や、暗殺当日に詠んだ(とされる)「出でいなば 主なき宿と なりぬとも 軒端の梅よ 春を忘るな」に代表される実朝の歌とその解釈に因って、「憂愁の歌人将軍」というイメージが独り歩きしてきた。
 そういった実朝像に対し、本書は鎌倉時代初期の政治状況を踏まえて、実朝の歌に込められた真意を問い直し、政務での実朝の言動と相互に照らし合わせることで、これまで見えてこなかった政治家・実朝の姿に光を当てた。
 実朝の和歌や蹴鞠への傾倒について、個人的趣味として片付けるのではなく、幕府の主宰者として身につけておくべき必須の教養であったと指摘する。征夷大将軍を始めとする官位の叙任権を握る京都朝廷は権威と権力の源泉であり、朝廷との良好な関係を維持することは、将軍や有力御家人にとって重要であったからだ。和歌を詠み、それを交わし合うという行為が風雅を楽しむにとどまらず、政治の場におけるプロトコルの役割を担っていたというべきだろう。
 また『吾妻鏡』にある実朝親裁の記事からは、合理的で公平な裁定を下すべく実務に精励し、着実に経験と実績を積み重ねようとする青年将軍の姿が浮かび上がる。相模川橋修復を巡る評定で、北条義時・大江広元・三善康信といった頼朝以来の宿老御家人を前に、実朝が吉凶を超えて下した合理的判断はその好例である。
 そのような実朝が統治者として範を求め、存在を常に意識をした人物が、実朝の名付け親でもある「治天の君」後鳥羽院だ。
 和歌を始め諸芸・学問に通じ、朝廷運営の基礎である有職故実の復興に自ら熱心に取り組み、政治と文化両面で正統な王たらん、と希った後鳥羽院。そのエネルギッシュな存在感は、同時代を生きる実朝に大きな影響を与えたのは間違いない。
 事実、『金槐和歌集』に収録されている歌には「大君」「君が代」といった語を詠み込んだものがあり、実朝が後鳥羽院を強く意識している証といえる。
 そして後鳥羽院の支援を受け、異例の官位昇進を果たした実朝がその先に思い描いたもの。それは親王を将軍として迎え入れることで、外には西の京都朝廷との関係の安定を、内には鎌倉殿の権威を高め、その執政として幕府の主導権を確保する「東国の王権」と呼ぶべき構想ではなかったか、と著者は考える。
 私たちが「鎌倉幕府」と呼んできた政権のイメージを大きく変えてしまう構想の、まさに仕上げというべき右大臣就任直後に、誰もが思いも寄らぬ形で、実朝は凶刃に倒れてしまう。
 果たして実朝が生きていたなら、その後の歴史はどう動いたのか……。
 歴史学は史料を基に、様々な議論の積み重ねによって少しずつ歩みを進める。本書の主人公・実朝のように、新たな視点での再検討と批評が蓄積されていくことで、私達が知っている、と思っていた中世史もまた更新されていく。
 その休むことなく繰り返される知的営みの新しい成果、その一端に触れることが出来る一冊。今、中世史が本当に面白い!







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