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評者◆倉石一郎
路上吏員と人の情け
No.3174 ・ 2014年09月13日




■「情けは人の為ならず」という言葉の本来の意味は、人助けは巡り巡って自分に返ってくるものだからどんどん助けてあげなさい、ということだ。ところが、人助けは結局その人(助けられた人)を甘やかし自立を阻害するから助けない方がいい、というまるで生活保護バッシングを地で行くような誤用が昔からまかり通っている。私がいま暮らすアメリカ合衆国は、オバマが公的医療保険制度を導入しようとしただけで天地が引っくり返る騒ぎになったぐらいで、この「誤用」の総本山みたいな場所だ。
 今から私は、そんなアメリカで出会った「人の情け」の話をしたい。日本を発ったのと同じ日に、家人に頼んで生活必需品を詰めた段ボール二箱を郵便局から発送してもらった。国際郵便は日本から外国(今回は米国)の郵便局にリレーされ、宛先に届けられる。ところが送った荷物が一箱しか滞在先に届かず、もう一つが待てど暮らせど来ない。家人に確かめると、日本の郵便局で受け付けた際、二つの箱をロープで縛って一つにまとめさせられたが、送り状は一枚しか貼らなかったらしい。アメリカに到着時おそらく荷物の開封検査でロープが解かれ、二つが行き別れになり、一方が宛先不明扱いとされてしまったのだろう。荷物を受け付けた日本の郵便局に国際電話で事情を話し、対応をお願いした。しばらくして連絡があり、もう紛失した荷物が出てくる見込みはないのでこれから賠償の手続きに入る、ついては米国の郵便局に「フォーム2856」というクレイム(申立書)を提出してほしい、と告げられた。私は憂鬱な気持ちになった。
 この瞬間まで私は、荷物が取り戻せるという一縷の望みを抱いていた。それが打ち砕かれた。さらに調べてみると、フォーム2856というのは本来、郵便物の一部が汚損したり紛失したりした際のクレイムで、汚損・紛失せず無事だったパーツを同時に提示せねばならないことが分かった。どうも今回のケースとは微妙に違う気がした。この込み入った事情を英語で説明できるだろうか。でもやるしかない。悲壮な決意で、大学そばのよく使う郵便局に行った(写真)。いつも混んでいる局で、長い間待たされてから順番が回ってきた。白人の若い男性局員に、大切な荷物が紛失したと緊張しながら伝え、あとは「フォーム2856」と絶叫したが、向こうは肩をすくめて全く私をまともに相手にしない。何を言っているのかよく分からなかったが、ウェブサイト、オンラインという言葉は聞き取れた。ウェブ上から自分で書式をダウンロードするのか、とその足で大学図書館に飛び込み、パソコンで検索してそれらしき書式を印刷して取って返すと、再び同じ男性局員に、手続きは全部オンラインでやる、ここでは何も受け付けできない、とうるさそうに言われた。
 この時点で私の心はほとんど折れてしまっていた。やり場のない怒りが渦巻き、気が狂いそうになった。日本の郵便局の担当者に再び事情を話しても、とにかく2856を提出してくれの一点張りだ。ここで私が泣きついたのが、こちらで私が所属する学部で教育人類学を教える女性講師のR先生だった。Rさんは日本に住んだ経験があって日本語が少し分かるので、事務室の人から前に紹介を受けていた。Rさんは私の泣きのメールに即応し、くだんの郵便局に同行してくれることになった。地獄に仏とはこのことだ。翌朝、例の局員と三度目の対決となったが、Rさんの英語の加勢があってもなかなからちが明かない。ただ前日の日本との電話で確信をもったので、クレイム手続きは絶対にオンラインでなく書面の直接提出のはずだと言い張ると、かすかに動揺が走った。やっぱり嘘をついていたのだ。だがなおRさんとの間で激しいやり取りが続き、どうやら男は「荷物が本当にアメリカでなくなった証拠があるのか。中国国内で紛失したかもしれんじゃないか」と言っていることが判明した(私は中国人と認識されていた)。これを聞いてRさんは「この男はだめだ。別の郵便局に行こう」と私を外へ連れ出した。
 その後、Rさんが普段から使う郊外の郵便局に車で行って事情を話すと、すんなり受け付けてもらえた(私がダウンロードした書式はやはり間違っていた)。窓口対応は黒人の女性局員だった。もちろんRさんはここでもアシストしてくれた。その献身への心からの感謝の思いとともに、この数日の不愉快の連続は何だったのかと、再び怒りが込み上げてきた。Rさんは、あの男性局員の件は本部に苦情を申し立てるべきだと息巻いた。
 この一件が、ちょうど興味深く読んでいたマイケル・リプスキーの「ストリートレベルビューロクラット=路上吏員」論とシンクロした。路上吏員とは、「政府」を代表して最前線に立って市民と接触することを任務とする、たとえば警察官、教師(特に都市部の)、福祉ワーカーなどを指す。その重要な特性は、官僚機構に組み込まれる一方で業務の中では高い自律性と広範な裁量権を有し、大きな影響を接触した市民に与え、そして自らの顧客を選ぶ自由がないこと(逆に市民も吏員を選べない)である(Michael Lipsky,“Toward a Theory of Street‐level Bureaucracy\")。今回の私の経験は、ふつう誰も路上吏員だと見なさない郵便局員でも、時と場合によって似たような性質を帯びることを教えてくれた。
 リプスキーによれば路上吏員が相手にする市民は大抵マイノリティであり、両者とも手持ちの資源が恒常的に不足しているため、その相互作用はフラストレーションに満ち、決して満足な結果がもたらされないという。気が滅入る話だが、この議論の原点にあるのは、プリンストン大の院生だった二〇代の頃ミシシッピーフリーダムサマーに参加し、その後ニューヨークの黒人街で公共住宅政策をテーマにフィールドワークをした経験だ。「人の情け」の不毛地帯を歩き続ける中から、このユニークな理論は彫磨されていった。
(続く)







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