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評者◆前田和男
若きLGBT人権活動家 尾辻かな子の巻⑩
No.3173 ・ 2014年09月06日




■母親へのカミングアウト

 尾辻かな子は、ついに異性愛者の友人たちにカミングアウトし、クローゼットから半身を乗り出した。残るは家族、それももっとも身近だがもっとも気重な相手の母親へのカミングアウトである。それは、同志社大学3年の秋、ところは実家に帰るとしばしば母親と出かけて雑談をするファミリーレストランだった。
 しかし、カミングアウトはしたものの、前回紹介した友人たちのようには母親との間に新しいコミュニケーションと相互理解が成立するには至らず、“消化不良”のままで終わった。そのあたりについて、尾辻は自著『カミングアウト』で次のように記している。
 「『世の中には、そういう人(自分のような同性愛者)が何パーセントかいるねんて。たまたま、私もそうやってん―』(と話をしただけで)自分が同性愛者だと気づくまでに随分悩んだことや、同性愛者の友人がたくさんいることなどは伝えきれなかった。母親の頭の中にはクエスチョンマークだらけだったと思う。結局、このときは、なんとなく居心地が悪いまま会話が終わってしまった」
 では、母親の尾辻孝子は実際どう受けとめ、あるいは何がどう消化できなかったのか。あれから15年たって、改めて往時を振り返ってもらった。
 「お母さんの育て方が悪かったから女の子が好きになったんと違う」と娘に言われた言葉だけは記憶に残っているが、それ以外はあの時に何をどう話したのか今もよく思い出せないという。
 とにかく天地がひっくり返るような衝撃だった。いちばんのショックは、「母親として、まさか娘がそういうことで悩んでいるとは思いもよらなかった」ことだった。
 いまも孝子の口から語られるカミングアウト以前の娘・かな子は“男まさりの自慢の娘”だ。「お兄ちゃんを喘息対策に水泳に行かせると、妹のかな子もついていくという。一緒にさせるとお兄ちゃんを超えてしまう。お兄ちゃんが水泳から剣道に転進すると、かな子もやりたいと。お兄ちゃんが喘息で稽古にいけなくなると、かな子がどんどん上達して……」。男の子っぽいとは感じていたが、それをマイナスとは考えなかった。「おとなしいよりは元気があっていい。自分には運動能力はないけれども娘は運動があっている、だったらそれを伸ばせばいい。スカートが嫌いならズボンでいいと」。“女の子らしく育てたい”とは、さらさら思わなかった。
 つまり、母親としては評価していたところに娘の深い悩みが隠されていたことに、まったく気づいていなかったのである。話を聞いていて思った、自分の価値観からは理解できない娘の一面を知っただけで十分にショックだが、その一面をそれまではプラスと“誤解”していたので、そのショックはいっそう大きかったのではなかろうか。
 さらに孝子がかつて小・中・高校の教員であったことも彼女の動揺を倍化させたと思われる。娘からカミングアウトされた後、「同僚に知られたらどうしよう、職場に行けなくなる」という恐怖が頭をよぎったという。
 それまで教師として娘のような悩みを抱える生徒に出会ったことはなかった。職員会議でも同僚の間でも話題になったことはない。前述したように、先進国ではLGBTは全人口の3~5%はいるとされ、ということは学校のクラスに1~2人そうした子供がいるはずにも拘わらず、である。往時はLGBTの問題が今のようにマスコミで取り上げられておらず、学校現場からも隠されていたのである。
 教師として、理解できないなりに、娘にこう反応したという。「それって、昔、エスっていってたやつ?」。エスとはシスター(SISTER)の頭文字からとられた少女間の恋愛感情をさす戦前からの限りなく死語に近い隠語で、娘のかな子はその由来も知らなかったが、その時の母親の反応を「とにかく恥ずかしそうだった」と述懐する。事実、母親の孝子には「口に出すのも憚られる恥ずかしいこと」だったのである。今ならLGBT問題は教育現場の課題になっており、従って教師とその娘の間にはコミュニケーションが成立したかもしれないが、当時は“ディスコミュニケーション”になっても仕方がなかった。母・孝子の時代がかった反応を責めることはできないだろう。
 一方で、孝子は教師である前にごくごく普通の母親だった。息子と娘がそれぞれ結婚して孫ができ、3世代で一緒に住むのが年来の夢だった。息子が高校中退から大検を経て国立大学医学部に進学。娘も有力私立大学に再入学。ますますその夢が現実味を帯びてきたところへの娘のカミングアウトだったので、それは失望を通り越して絶望に近かったはずだ。
 「必死でつくってきた家庭が壊れる」との怯えに襲われた。
 「お母さん、(LGBT関係の)本を読む?」と勧められたが、読もうとはこれっぽっちも思わなかった。読んだらよけいに知ってはいけない世界を知ることになる、「パンドラの箱を開けるんじゃないか」と恐かった。誰かに相談をすることも考えなかった。「相談したらばれる、ばれたら大変なことになる」と今から思うと理由もなく怯えたからだ。
 結局、母・孝子が心に決めたことは、“娘のカミングアウトはなかったことにする”だった。夫にも息子にも言わなかった。娘は前掲の自著で「それ以来、母は私の恋愛事情についてはとやかく聞いてこなくなった」と記しているが、それはそんな事情からだった。
 前回紹介した友人たちとは違って、娘のカミングアウトは逆に母親をクローゼットに入れてしまったのである。それはおよそ2年間も続くことになるが、やがて母・孝子はクローゼットから出るだけでなく、娘が同性愛者であることを外に向かってカミングアウト、同じ悩みを抱く親たちへの啓発運動に取り組むようになる。何が彼女をそうさせたのか、それについてはそのきっかけとなった出来事と共に、おいおい語るので、そこまでお待ちいただきたい。
(本文敬称略)
(つづく)







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