|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
【重要なお知らせ】お問い合わせフォーム故障中につき、直接メール(koudoku@toshoshimbun.com)かお電話にてバックナンバー・定期購読の御注文をお願い致します。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
評者◆内堀弘
ラストシーン――古書いとうさんのこと
No.3172 ・ 2014年08月30日
■某月某日。古書いとうの伊藤昭久さんが亡くなった。池尻大橋の店には行ったことはないけれど、入札会で会えばいつも高校野球の話をした。
古本屋の前職は様々だ。伊藤さんは六十年代半ば、山梨シルクセンター出版部(後のサンリオ)に入る。そして内藤ルネや水森亜土のガーリーなシリーズや、寺山修司や土方巽たちの尖った対談集を手がけた。この出版社の際立ったラインナップは、ほとんどが編集者伊藤昭久の仕事だ。 七十年代に入ると、紙の原料屋の専務になる。「ご不要の古新聞古雑誌がございましたらトイレットペーパーと交換いたします」と町々を流していたチリ紙交換(略して「チリ交」)の元締めだ。そして八十年代半ばに古本屋をはじめる。本人に言わせれば紙にかかわるばかりの「吹けば飛ぶよな糸へん人生」なのだ。 チリ交さんがとんでもない古本を掘り出した逸話はいくつもある。だが、いつの間にか街々から消えてしまった。あの人たち、つまり「吹けば飛ぶよな」連中の、野放図で明るくて、でもどうしようもない人生を、伊藤さんは『彷書月刊』に連載した。毎回が短編小説のように面白かった。それが『チリ交列伝』(ちくま文庫)になる。ここに自身が古本屋になる顛末を書き足した。 ちょっと素敵な古本屋ができると、今ではすぐに「個性派」と紹介される。でも、写真一枚に写りきる個性などたかが知れている。 伊藤さんは高校野球が好きだった。甲子園ではなく、地方予選(東京都大会)の、それも一、二回戦あたりだ。 名もない高校の、名もない勝ち負けにも、泣きじゃくる選手がいて、長い物語もある。伊藤さん、ああいうのが好きだった。「古本屋だって似たようなもんだよ」。そう言うときの笑顔が優しくて、場数を踏んできた凄味を表には出さない人だった。 今年も夏がはじまった。七月の暑い日、八王子市民球場で予選を観戦中、体調が急変しそのまま亡くなった。訃報を知り、なんというゲームセットかと思った。いや、伊藤さんが書いた「列伝」の、まるでラストシーンのようだった。 |
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
取扱い書店| 企業概要| プライバシーポリシー| 利用規約 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||