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評者◆岡一雅(MARUZEN&ジュンク堂書店梅田店)
ヒトラーはアジテーターだったのか?
ヒトラー演説――熱狂の真実
高田博行
No.3171 ・ 2014年08月16日




■ヒトラーの演説を幾度か映像記録で見た覚えがある。「声を張り上げ、大きな身振りで聴衆を煽り立てる」ヒトラーと沸き立つ聴衆の歓呼の声。みなさんお馴染みの映像だろう。ドイツ語が分からなくても、その激しさが伝わってくるものだった。まさにアジテーターが語るプロパガンダ映像。
 では、本当にヒトラーは感情的に煽るだけのアジテーターだったのか?
 ヒトラーは自著『わが闘争』で紙に書かれた文章よりも、音声によって伝える演説の方がより多くの大衆に訴えることが出来ると述べ、演説のポイントとして次の点を挙げている。
〈冷静な熟考よりも感情的な知覚〉
〈ポイントを絞り、スローガンのように利用し、繰り返す〉
〈聴衆の反応をフィードバックさせる〉
 著者はこれらを踏まえた上で、演説文の表現やレトリック、演説時の発音や発声法、ヒトラーの声を増幅させたラウドスピーカーやマイクが果たした効果を一つひとつ検証していく。そしてヒトラーの演説構成の秀逸さ(内容の正当性とは必ずしもイコールではない)と演壇で見せる振る舞いは、緻密に計算されたものであることを詳らかにしてくれる。
 政権獲得後は、当時最大のメディアであったラジオ放送をナチスのプロパガンダに取り込み、ラジオでのヒトラー演説聴取を義務付ける。完璧な、まさにプロパガンダの理想的なかたちと言ってよいのだろう。しかし、そのことが国民の演説離れを促してしまう。聴衆である国民が「指定された日時にヒトラーの演説を聴くことを強いられる」からだ。保安本部の世情報告から伝えられる国民の反応からは、明らかにヒトラー演説へのマンネリ感が伝わってくる。
 元々ヒトラーは、演説の原稿を事前に用意するのではなく、演説の要点となるキーワードをメモし、聴衆の反応も見ながら壇上で話を組み立てていた。原稿を読み上げるだけの単調な形を避けるためだ。何より演説会場で生まれる熱の伝播こそが、ヒトラーが目指した演説の持つ力だったはずだ。
 しかし、ラジオを通じての演説は語るべき相手が直ぐそばに居ない。演説会場での一体感こそが力の源だったヒトラー演説にとって、ラジオはまさに「トロイの木馬」と呼ぶべき存在になってしまう。
 この頃になると国民はヒトラー演説を素直に受け入れなくなっていた。第二次大戦勃発後はその演説内容から、戦争の行く末(いつ戦争は終わるのか)を読み取ろうとした。ドイツ国民は戦争が始まって、初めてヒトラーの演説に真剣に向き合ったと言える。
 更に戦況の悪化は、ヒトラーから演説への熱意を奪うことになる。一説には、パーキンソン病を患っていたと言われるヒトラーだが、自身が語る言葉を持たなくなったことで、演説が持っていた魔力――聴衆を酔わせ、一つの方向に導く力強さは、消えてしまっていた。
 ナチスは、大規模なプロパガンダを展開することを得意としていたが、常に政権側の意図を国民に浸透させることに成功した訳ではなかった。むしろプロパガンダの洪水は、国民に国家宣伝への耐性をつけさせる方へ働いた。後世の私たちこそ、ナチスのプロパガンダの手法に惑わされ、ヒトラーとナチスの成功を過大に評価しているのかもしれない。
 ヒトラーとナチスがなぜ受け入れられたのか。その要因について、これまで数多く論じられてきたが、ヒトラーの演説それ自体を考える素材として扱った本書の試みは斬新でもあり、メディアと密接な関わりを持つ、現代の政治を考える上でも非常に面白い一冊である。







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