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評者◆倉石一郎
拝啓、大谷豪見先生
No.3171 ・ 2014年08月16日




■大谷先生、本当に長らくご無沙汰しております。あの高校を卒業してもう四半世紀が過ぎてしまいましたが、アメリカの地で、先生の渾身の訳業『この世を離れて』(原題The Sweet Hereafter、ラッセル・バンクス著、早川書房)を拝読いたしました。ここウィスコンシン大学の図書館にはちゃんとバンクスの原著があるのですが、文字通り一ページで挫折してしまいました。そして金と手間暇かけて邦訳を取り寄せた次第です。英語教師として、かつての教え子のふがいない姿に落胆されていることと思います。面目次第もありません。しかし、むかし観たカナダ映画「スウィートヒアアフター」の原作本を読みたい衝動にかられ、その邦訳者に高校の恩師の名前を発見したときに味わった興奮と懐かしさは、しがらみから離れ異郷に暮らす身ならではでしょうか。
 「スウィートヒアアフター」が気になった理由は単純で、この映画がスクールバスの事故をテーマにしていたからです。この連載にもこれまで駄文を書きつらねてきましたが、私はコミュニティに暮らす人びとの学校とのつき合い方、距離感の日本とのちがいに関心を持ち、いま在外研究をしています。そして、アメリカのどの町にも必ず走っているスクールバス、あの黄色と黒のバスが、このちがいを解き明かす鍵になるのではないかと考えています。また教育をめぐる黒人の解放闘争で、スクールバスがときにクローズアップされ争点となったことにも興味をひかれています。要は、スクールバスというモノを定点に観測し、アメリカ公教育発展史の別のドラマを浮かび上がらせようというわけです。
 さて『この世を離れて』ですが、映画が正直「何がなんだか分からなかった」のとちがって原作の方は、骨格のどっしりした重厚な作品でした。事故に関わった四人の登場人物が語り手となって、それぞれの視点から物語が紡がれていきますが、私にとって最も印象深かったのは冒頭の「ドロレス・ドリスコル」です。普段と変わらず子どもたちをピックアップし、学校へ向けて加速を始めたところで道路を外れ、バスごと氷と雪の中に突っ込んでいった冬の日の朝のことが、バスの運転手ドロレスの視点から語られています。小説の設定では、ドロレスは一九六八年以来もう二二年間、この町でスクールバスの運転を任されており、いま走らせているインターナショナル社の大型バス(黄色と黒の塗装!)で三台目ということです。ドロレスには町のどの家庭の事情もお見通しで、バスに乗り込んできた瞬間の子どもの顔色や、母親とかわす二言三言の会話から多くのことを読み取っているくだりが印象的です。ニューヨーク州北部の山あいの町の暮らしぶりは楽ではなく、人びとは数々の屈託を抱えながら生きています。
 原作の主題は言うまでもなく、突然の事故で肉親を、それも最愛のわが子を失う悲劇に直面したとき何が起こるか、それまで大人たちの人生を支えていた構造物がいかにもろく崩壊するか、というテーマです。しかし私にもっと突き刺さったのは、冒頭の「ドロレス・ドリスコル」で暗示され、次の「ビリー・アンセル」や「ニコル・バーネル」の章で開示されるところの、サム・デント町の人びとが事故以前の平穏な暮らしの中にそれぞれ抱える不気味さです。教育学の文脈ではしばしばロマンチックに美化されがちな「アメリカン・コミュニティ」が抱える危うさ、一つ間違えば暴発するリスクに満ち満ちた姿を垣間見せています。きれいごとでない、そうしたコミュニティの断面の媒介者として、スクールバスの運転手という視点は実に絶妙だったのではないでしょうか。学校の教師が相手だと、大人は顔を取り繕ってしまいますし、だいいち教師には一軒ごとに玄関先をまわるフットワークはありません(その欠落を補う、ビジティング・ティーチャー=訪問教師という不思議な職種が米国にはあり、その研究をしてきました。近々成果(※)が刊行されます)。郵便配達人は一軒ごとに各家をまわりますが、子どもとの接点は希薄だし必ずしも対面的相互作用を伴いません。その点でスクールバスの運転手は、子ども・大人にかかわらず地域社会の誰とでも「玄関先でのやり取り」が可能な、稀有の存在ではないでしょうか。
 大谷先生、でも私は人文・社会科学の研究者として、「小説より奇なる事実」の発掘に従事しなければなりません。原作者バンクスが大学時代を過ごしたノースカロライナ州は、南部ゆえに黒人コミュニティ対象のスクールバス・サービス拡張が積年の課題でしたが、資料を読むと一九六〇年代に入ってもなお「大半のドライバーは高校の生徒であり、月額三〇ドルを支給している」とあります(Biennial Report of the Superintendent of Public Instruction of North Carolina,1962‐1964,p.115)。高校生の運転手では、事故のリスクこそあれ、『この世を離れて』のような稠密な物語は描けそうもありません。
(続く)
※倉石一郎著『アメリカ教育福祉社会史序説――ビジティング・ティーチャーとその時代』
春風社(近刊)







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