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評者◆梁英聖
日本には、「反レイシズム」があったのか――欧米の「反レイシズム対自由」から日本の課題を教えてくれる  E・ブライシュ著『ヘイトスピーチ』
No.3171 ・ 2014年08月16日




■去る五月、私たちは「レイシズム研究会」を立ち上げた。日本のレイシズムに対抗するための、基本文献を中心とした読書会である。第一回目の課題文献が本書『ヘイトスピーチ』(明石書店)であった。訳者の一人・明戸隆浩氏に報告して頂き、私はコメントする機会に恵まれた。
 まさに「ヘイトスピーチ」頻発状況を前にして、有効な運動を暗中模索していた一人として実にありがたい翻訳であった。同時に一読して疑問も浮かんだ。
 そもそも日本には、本書のいう「反レイシズム」があったと言えるのだろうか。
 著者ブライシュは欧米各国の「自由対反レイシズム」のジレンマを検討した上で、第二次大戦後は自由を一部規制してでも反レイシズム政策をとる傾向があるとした。日本がそうでないのは明白だ。だが日本はそもそも自由を規制せずとも実施できる反レイシズム政策すらないのではないか。日本は人種差別撤廃条約にいうマイノリティをアイヌ以外に認めない。京都朝鮮第一初級学校でレイシストらは警官の目前で堂々と暴力を行使し続けた。差別実態も調査さえしない。「反レイシズム政策が日本にはない」との意見に明戸氏も賛同してくれた。
 ブライシュが論じているのは決してイデオロギー的な「規制対自由」論ではない。各国の「反レイシズム」の闘いを、法の制定・執行において直面する具体的なジレンマという切り口から検討しているのである。例えばヘイトスピーチさえ言論の自由で擁護する米国も、かつて五〇年代まで差別言論の規制を合憲とする傾向であったし、六四年公民権法で明確に差別禁止法をつくった。傾向が変わったのは六〇年代に、公民権運動やユダヤ人団体が言論の自由擁護を支持したからだ。当時マイノリティが反レイシズムを闘うにあたって、規制がむしろ自らの弾圧に利用される十分な恐れがあったのである。
 本書が教えてくれるのは、日本ではそもそも、少なくとも国が政策づくりを余儀なくされるまで、「反レイシズム」が市民社会で闘われるほかない、ということだろう。
 第二の疑問は、歴史修正主義の規制についてやや懐疑的で一般的ジェノサイド(扇動)規制で対処すべきとしている点である。もっとも欧米ではニュルンベルグ裁判でナチの戦争犯罪は公認され、あたりまえに教育でホロコーストの歴史が教えられる。本書の議論は教育現場をはじめ反ナチ規範の存在が大前提になっている上で、歴史修正主義の法規制の是非が問われている、そういう構図である。
 しかし日本の場合、構図が全く異なる。そもそも反ナチに類する規範も、公的な基準さえほぼないのと同じではないか(せいぜい村山・河野談話)。反ナチ規範形成は戦後のドイツ分断、反共戦略の下で西独が仏国らとECを結成、対イスラエルにおける東西ドイツの反ナチ競合関係、など国際的条件を背景とした。他方、東アジアでは「冷戦」を背景として、アジアでは欧州のような多国間安全保障の枠組みは形成されず、東京裁判ではアジアへの日本の侵略・植民地支配責任が不問に付され、象徴天皇制と日米安保体制が成立する。
 アジアでは欧米の反ナチに類する規範さえ形成されなかった。そのため例えば多くが歴史修正主義を含むヘイトスピーチに反論する際の基準・根拠を国や自治体に求めることがほとんど出来ないのである。
 なお、本書第三章「ホロコースト否定とその極限」は「ホロコースト否定」を明確にヘイトスピーチに位置付けているが、「訳者解説」は「ホロコースト否定」のような歴史修正主義が欧州の文脈にとどまらず「より普遍的な形でヘイトスピーチの一類型をな」すとしている(本書二八三頁)。この指摘は日本で反歴史修正主義の規範を形成する課題にとって極めて重要だと思われる。
 最後に、研究会でヘイトスピーチの定義に「国籍」は考慮されるか、という問いが出された。明戸氏は欧米でも論点になっているが、日本での法制定では国籍による差別を定義に含めないと大いに有効性が減ってしまうだろうとの、重要な指摘をされた。本書はEUの圧力に応じて二〇〇六年に実施するまでドイツが法規制を怠ってきたことを正しく批判しているが、その一因として九〇年代後半まで国籍法が血統主義であった事情を挙げている。日本で今後大きな壁になるのは間違いない。ただし法制定を怠ったドイツでさえ、歴史修正主義については刑法改正とその適用で対処してきた。法がないからといって、日本が反レイシズム政策を採れない訳では全くないのである。
 反レイシズム闘争が六〇~七〇年代には国を動かして何らかの政策をつくらせ、その後法改正を続けさせ、常に具体的な「反レイシズム対自由」で悩む欧米に対し、そもそもレイシズムの存在を国に認めさせ反差別政策をつくらせねばならない日本。スタートラインの余りの落差に恐ろしくもなるが、レイシズム研究会はそんな実践をつくりあげるための学びの場にしていきたい。
(在日コリアン青年連合〔KEY〕)







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