書評/新聞記事 検索  図書新聞は、毎週土曜日書店発売、定期購読も承ります

【重要なお知らせ】お問い合わせフォーム故障中につき、直接メール(koudoku@toshoshimbun.com)かお電話にてバックナンバー・定期購読の御注文をお願い致します。

評者◆倉石一郎
アカウンタビリティのハーレム
No.3170 ・ 2014年08月09日




■ニューヨークは一つの点を除き、私にとってアメリカで最も心地よい場所である。その理由は、ここでは誰はばかることなく、地下鉄やバスなどの公共交通機関を乗り回せること。マンハッタン島を中心に網の目にはりめぐらされた、便の良さだけではない。アメリカの他の多くの場所では車内のどこかに漂っている「敗北感」が、ニューヨークの交通機関にはないのだ。これは、車に乗れない交通弱者としてみじめな日々を送っている自分にとって、心地よさの最大の源泉である。ちなみに唯一の欠点とは、言い尽くされたことだが信じがたいほどのホテル代の高さだ。家賃も同じで、アパートを探す苦労がしのばれる。
 エリザベス・アーロンソンさんに会いにコネチカットに行ったほかは(前回参照)、ニューヨーク市内で時間を過ごした。今回の旅の目的の中心は、ハーレムのど真ん中にあるションバーグ黒人文化研究センターに所蔵された資料を読むことである。日本ではあまり知られていないかもしれないが、プレストン・ウィルコックスという、コロンビア大学でソーシャルワークを教えていたこともある黒人の学者兼活動家がいた。ハーレムを拠点に、黒人コミュニティの地域活動に生涯をささげた。彼は、アーロンソンさんも関わったコミュニティコントロール運動(マイノリティ住民で構成された地域が学校教育の住民管理を要求した運動)の理論的指導者でもあった。このウィルコックスの個人文書が、ションバーグ黒人文化研究センターに保管されている。
 私はこれまで、ハーレムのことはおろか、アフリカ系アメリカ人(黒人)を研究テーマに据えたことも一度もない。研究どころか、ニューヨークには何度も来ていたが実は一度もハーレムに行ったこともなかった。それでいきなり「研究」しようというのだから、実にいい加減な話だ。少しでも土地勘をと思い、ニューヨーク在住のライター堂本かおるさんが主宰するハーレムツアーに申し込んだ。ツアーの待ち合わせ場所は、奇しくもションバーグセンターの前だった。事前の注意書きに、なるべく集合場所までは地下鉄をご利用下さい、なぜならハーレムは地下鉄の中から始まっていますので、とある。私はいそいそと一三五丁目駅をめざして、電車に乗り込んだ。
 ハーレムに向かう地下鉄二,三号線は、九六丁目駅を出ると大きく右にカーブしてマンハッタンを横切り、マルコムXブルバードの真下に出る。その区間は駅間隔がけっこう長いのだが、乗客が「缶詰め状態」になったその間隙をついて、突然車内で数名の黒人の若者によるダンスパフォーマンスが始まった。ラジカセでヒップホップを流し、ブレイクダンス(?)みたいな踊りを繰り広げるのだが、ちょうど私が座っている目の前の床でぐるぐる回り出してびっくりした。次の駅到着の間際に曲が終わるようにちゃんと計算されていて、パフォーマンスが終わると拍手喝采が起こり、若者が差し出した帽子には一ドル札が次々に投げ込まれた。あの青年たちをとりまく状況や生活背景は知る由もないが、少なくとも「敗北感」は漂っていなかった。さすがニューヨーク。さすがハーレム。
 ハーレムツアーは大変興味深いもので、参加してとてもよかったと思う。案内してもらった中で一つだけここで書きたいのは、ハーレムの目抜き通り一二五丁目沿いの一等地にたつ建物のことだ(写真1参照)。一見すると図書館かコミュニティセンターのようだが、看板に「ハーレムチルドレンズゾーン・プロミスアカデミー」とあるとおり、ニューヨークでは有名なチャータースクールである。公設民営の学校チャータースクールについては賛否含めて日本でもいろいろ議論されているので触れないが、目標の達成責任(アカウンタビリティ)が学校の根幹にあるため、勤める教師が重圧を背負って大変なのはもちろんだが、子どもを通わす親の負担も半端ないそうだ。ちょうど通りかかった時が昼飯時で、子どもたちがどやどやと通りに出てくるのに遭遇したが、それを見送る教師と思しき人もいた。この日のハーレムは今年一番の暑さ、歩いているとたちまち汗が噴き出る陽気だったが、教師らしき人は長袖シャツにネクタイをきちんと締めていた。
 ツアーのあとはずっと、ションバーグセンターにこもってウィルコックス文書を黙々と読んでいた。その時、あっと息をのんだことがある。一九六六年、彼がコミュニティコントロールを求めてニューヨーク市当局に突きつけた要求書の筆頭に出てくる言葉は、アカウンタビリティなのだ。いまは教育の民営化、市場原理の侵食という文脈でしか目にしないこの忌まわしき言葉に、ウィルコックスはどんな変革の希望をこめていたのか。彼がハーレムで闘争の舞台とした市立第二〇一中学校は、プロミスアカデミーからわずか二ブロックのところに、高床式倉庫のような不思議な校舎のまま、今もちゃんとある(写真2参照)。
(続く)
※ハーレムツアーに関する情報は、堂本かおるさんのHP(http://www.nybct.com/)を参照のこと。







リンクサイト
サイト限定連載

図書新聞出版
  最新刊
『新宿センチメンタル・ジャーニー』
『山・自然探究――紀行・エッセイ・評論集』
『【新版】クリストとジャンヌ=クロード ライフ=ワークス=プロジェクト』
書店別 週間ベストセラーズ
■東京■東京堂書店様調べ
1位 マチズモを削り取れ
(武田砂鉄)
2位 喫茶店で松本隆さんから聞いたこと
(山下賢二)
3位 古くて素敵なクラシック・レコードたち
(村上春樹)
■新潟■萬松堂様調べ
1位 老いる意味
(森村誠一)
2位 老いの福袋
(樋口恵子)
3位 もうだまされない
新型コロナの大誤解
(西村秀一)

取扱い書店企業概要プライバシーポリシー利用規約