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評者◆明戸隆浩
「差別の否定」の時代に――「明確に捕捉し、言語化し、いかに対峙すべきかを考えるための準備は、まだ十分とは言い難い
No.3169 ・ 2014年08月02日




■少し前のことになるが、今年一月、神戸の朝鮮高級学校(高校に相当)の建物に男が侵入し、金属棒を振り回して男性教諭にけがを負わせるという事件が発生した。その後メディアからの続報はなく詳細に不明な点は多いが、ここでこの事件をあらためて取り上げようと思ったのは、この事件に対する(とくにネット上の)反応が、きわめて典型的に日本における差別的状況の「今」を表しているように思えたからである。
 この事件に対しては、それが新聞などで報道された直後から、twitterや2ちゃんねる(後者はその後「まとめサイト」を通じてその「要約版」が拡散される)でさまざまな反応が見られた。容疑者に対して批判的なものももちろんあったが、(とくに後者の)ほとんどはその逆で、「どうせ自作自演だ」「朝鮮学校生の普段の行いが原因」「自分たちだけいつも被害者」「嫌なら国に帰れ」といった書き込みだった。
 これらは、近年のネット上の状況にある程度慣れ親しんでいる者にとっては、ある意味ごく「ありふれた」光景である。しかし、こうした光景を明確に捕捉し、言語化し、それに対していかに対峙すべきかを考えるための言葉の準備は、この社会においてまだ十分とは言い難い。こうしたことをふまえてここでは、この光景を「差別の否定」という観点からとらえることで、そうした準備の一端を示したい。
 「差別の否定」ということに関連しておそらくもっともよく知られているのは、ナチス・ドイツにおけるユダヤ人虐殺の事実を否定する「ホロコースト否定」だろう。「ガス室はなかった」に代表されるこうした発言は、近年日本でも注目を集めている「ヘイトスピーチ」の典型例として、とくにドイツやフランスなどのヨーロッパ諸国では明確に規制の対象とされていることが知られている。
 こうした点については筆者が最近翻訳にかかわったエリック・ブライシュ『ヘイトスピーチ』(2014年、明石書店)でも一章まるごと使って詳述されているが、そこではホロコースト否定に「正当化」「過小評価」「(狭義の)否定」という3つのタイプがあるとされている。このタイプ分けに基づくと、「ガス室はなかった」というのは最後の「(狭義の)否定」であり、これはこれでもちろんきわめて悪質な否定論である。しかし他の2つがより「穏健」なのかと言えば必ずしもそうでもなく、たとえば一つめの「正当化」は、ホロコーストがあったこと自体は認めつつ「起こってよかった」と賛美したり、あるいは「ホロコーストを引き起こしたのはユダヤ人側に問題があったからだ」などと被害者側を非難したりする。また「過小評価」は「実際にはそれほど多くのユダヤ人が殺されたわけではない」といった主張をした上で、多くの場合「数字を誇張したのはユダヤ人側の陰謀だ」などと続ける(こうした議論は「(狭義の)否定」の際にも用いられる)。
 また欧米では、こうした問題をもう少し広く「レイシズムの否定」という形でとらえる議論もある。たとえばオランダの談話分析の大家であるテウン・ヴァン・デイクは、「談話に見られる人種差別の否認」(植田晃次・山下仁編著『「共生」の内実』〔2006年、三元社〕所収)をはじめとする一連の論考で、日常会話やメディア報道、議会などにおけるレイシズムの否定を分析している。ヴァン・デイクもレイシズムの否定にはいくつかのタイプがあるとしており、具体的には「(狭義の)否認」のほか、「緩和化」「正当化」「弁解」「非難」、さらには「転化」といった類型があるという。このうち最後の「転化」は、ブライシュの本では正当化や過小評価の際のレトリックとして部分的に言及されていたもので、具体的な例としては「彼らが人種差別を捏造したのだ」「本当の差別者は彼らだ」などが挙げられている(神戸の事件に関連して挙げた「どうせ自作自演だ」も、このタイプに含めてよいだろう)。
 こうした観点からみると、冒頭で紹介した神戸の朝鮮学校の事件をめぐるネット上の否定的な反応は、典型的な「差別の否定」であることがわかる。そして、こうした言説の多くは「犠牲者非難」の形をとるため、場合によっては差別そのもの以上に、その被害者に精神的な打撃を与えるものとなる。こうした「差別の否定」は日本においてもこの10年ほどのあいだに急速に増大しているように思われるが、すでに述べたように、こうした「差別の否定」に対抗する言説の準備は、現時点ではまだ必ずしも十分ではない。この論考では問題を言語化しただけにすぎないが、しかしこうした言語化は、その後に続く具体的な対応のためにこそある。ヴァン・デイクの言葉を借りれば、「今日の人種差別の本質的特徴の一つは、その否認である」。このことが日本にも当てはまりつつある今、「差別の否定」を伴う差別にどう立ち向かうかということは、きわめて喫緊の課題である。
(多文化社会論/関東学院大学ほか非常勤講師)







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