|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
【重要なお知らせ】お問い合わせフォーム故障中につき、直接メール(koudoku@toshoshimbun.com)かお電話にてバックナンバー・定期購読の御注文をお願い致します。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
評者◆秋竜山
父と子ありき、の巻
No.3169 ・ 2014年08月02日
■蓮實重彦/山根貞男/吉田喜重編著『国際シンポジウム 小津安二郎――生誕100年記念「OZU 2003」の記録』(朝日新聞出版、本体一三〇〇円)を書店で。吉田喜重氏の発言で、小津安二郎の作品「父ありき」が述べられている。
〈この映画のシナリオは昭和一六年の夏には出来上がっていたようです。そのあと太平洋戦争が始まり、その翌年の春、「父ありき」が公開されました。〉(本書より) 昔つくられた映画だ。昔というものは、なつかしいものだ。そしてなつかしい父親ということになる。自分の父をかさねてみたりすると、余計なつかしさがつのる。昔の映画というのは、その当時、自分はどうであったか、かさねてみてしまう。自分の父もこれくらいの年齢であったか。笠智衆が演じている。そして映画の一場面を吉田氏が取りあげている。吉田氏の感動が名文となって本書に掲載されているのである。 〈父の笠智衆がこれから中学に入ろうとする一人息子と、山間の流れが速い渓流で並んで釣りをする場面だったのです。〉(吉田、本書より) そして、本書ではその釣りの一場面の写真が掲載されている。〈「父ありき」一九四二年(津田晴彦と笠智衆)〉とある。写真は父と子の後ろ姿である。写真というものは、黙っていてもその時代を映し出すものだ。渓流の音が聞こえてくるような流れである。二人の無言であることが、渓流の音だけをきわだたせてくれる。そんな雰囲気が名文で綴られている。 〈渓流での釣りは、浮きをつけて激しく揺れるので、魚が針にかかったかどうか分らない。したがって浮きをつけないで、糸だけを川上に投げ戻す。こうした流し釣りを親子が並んでするわけですが、川の流れは同じ速度ですから、大人であろうと子供であろうと、釣りをする動作は同じになる。それが私には異様に思え、驚いたのです。私は子供でしたから、大人の父と私が違うということを知っていました。父は背が高く、力がある。子供の私は父と同じようには振る舞えないことを、よく知っていました。それが流し釣りでは、父と子が同じ動作になる。それが不思議に思えたのです。〉(本書より) 父と子が無言で同じ動作を繰り返しているわけだ。同じリズムで片手で釣り竿を左右に動かすだけ。それが延々と続けられる。その間、こっちも黙って見ているわけだ。変なおかしさがうまれ、クスッとしてしまう。 〈そして同じ動作を繰り返すなかで、父が子に「これからは離ればなれに暮らすことになるのだ」と、言葉少なく語りかけます。母を早く亡くし、父ひとりに育てられた子供には、この言葉はショックでした。〉(本書より) 私の子供の頃は母もの映画で、三益愛子が大人気だった。三益は、まさに国民的日本の母であった。三益の母親は、子を思う哀しい母であった。そんな映画にみんな泣いた。三益の哀しみのある顔を見ただけでもらい泣きした。三益のあのかすれたような声がたまらなく哀しくて胸をつまらせた。この「父ありき」では父親の哀しさによるものだ。母の哀しさに負けない父の哀しさは無言の孤独な淋しさがただよう。昔の白黒の画面の映画だけに黒い影が動くたびに哀しさがうまれるように思える。カラー映画になり、白黒の哀しみである。そして昔の映画になればなるほど新しさを感じさせられるのはなぜだろうか。 |
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
取扱い書店| 企業概要| プライバシーポリシー| 利用規約 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||