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評者◆杉本真維子
「野蛮」の出現
No.3169 ・ 2014年08月02日




■メモ帳の入ったパッケージ袋の隅を、歯で齧って開けると、Iさんは、なにやってるの? と目をまるくした。手で切れなかったから、と答えると、子どもじゃないんだから、と安心したように微笑み、鋏を持ってきて、ちょきちょきと丁寧に切っている。ああこういうふうに切るのかと、こちらも目をまるくする。
 このとき初めて、パッケージ袋を歯で切るなんて、普通はしないことなのだと知った。そういえば、学生時代も、会社の休み時間も、菓子袋などを当たり前のように歯で切っていた。何十年も経ってようやく、友人や同僚たちのまるい目が、ぽつぽつと脳裏に灯りだす。あの一瞬の妙な空気はそういう意味だったのか。目の前の人が、突然、野生児に変身する。そりゃそうだ。恐ろしくて指摘すらできない。
 私のなかでは手で切れないときは歯で切るべし、と決まっていたのである。なぜこんなことに、と記憶を辿ると、父の姿が浮かぶ。菓子袋、魚肉ソーセージ、あるときは、瓶詰の蓋まで、誇らしげに歯で開けていた。我が家ではそれが当然の光景であり、私は知らず知らずのうちに、それを真似ていた。自分の虫歯を気にしていた母は、そんな私の姿を見て、歯が丈夫でいいわね、羨ましいわあ、と、あろうことか称賛さえしていた。野蛮なんて意識はこれっぽっちもない。むしろもっと硬いものはないかな、と探してしまうほど、私にとっては誇らしいことであった。
 そんな我が家は、箸の作法については恐ろしいほど厳しかった。刺し箸、渡し箸、迷い箸、ちぎり箸、握り箸、返し箸、寄せ箸、舐り箸、合わせ箸、空箸、数え上げたらきりがない。いわゆる忌み箸は、徹底的に教えこまれた。あるときなど、叔母が私に、これ食べる? と持ちあげたおかずを、つい箸で触れて、合わせ箸をしてしまいそうになり、祖母が慌てて身をのりだし、私の手を払いのけた。その拍子にどういうわけか平皿がひっくり返り、食卓がめちゃくちゃになった。
 だから家族が集まる夕飯の時間は、結構、緊張したものである。食べ終わると、ああ今日は叱られずにきちんとできたぞ、とほっと胸を撫で下ろし、しばらくすると、テレビがつけられ、間食の時間がやってくる。そこでは、父と私が、ばりばりと歯で何かを開けているのだ。なんという偏り。他人がみたら、首を傾げるにちがいない。
 しかし、家族とはどこかイビツなものである。家という閉鎖された空間は、誰かの一人の行ないが、そこでのルールとなったり、独特の文化をつくっていく。他人が介入しない「密室」の壁は厚く、はたから見たらどんなに奇妙であっても、そのかたちを保ちつづける。だから同じ「家」は、一つとして存在しないのだ。
 そういえば、大学の先輩で、衣更えの時季になると、人が変わったように落ち着きがなくなり、早く帰宅することばかり考えている人がいた。いつも遅くまで遊んでいる人なのに、あきらかに様子が変なのだ。どうしたの? と尋ねると、じつは衣更えなんだ、と深刻な表情で打ち明けられた。その人の家では、衣更えが、人生を左右するほどの一大事だったのだろう。
 箸の作法については、習っておいてよかったと思えるが、歯で開ける作法? については、口籠ってしまう。周囲を不快にさせるなら、直したほうがいいに決まっている。でも、じつはおとなげないと思いつつも、直したくないような気もしている。人を慌てさせるような「野蛮」の出現。そのイビツな仕草のなかに、いまは思い出のなかにしかない、私の家族が棲んでいるからだ。







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