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評者◆秋竜山
薄暗いトイレがなつかしい、の巻
No.3168 ・ 2014年07月26日




■一九のヤジキタに旅さきで廁の場面が出てくる。なんと、一つの厠に左右に二つの戸口がある。どっちが入口で、どっちが出口ということもあるまい。気が気でないトイレだ。おちついて、ゆっくりもできない。よく、あるトイレで、カギが故障していて、掛けることもできない。いつ誰かがパッと入ってくるかわからないから、そのとっての部分を手で押えながら用をたさなければならない。手がとどけばの話で、とどかない場合、どうしてよいかわからない。そんな困ったことに出会ったこともあるが、戸口の二つあるトイレだが、ヤジキタのそんな厠のつくりを笑っていられない。と、いうのも、わが家の生家の厠も、二つ戸口がついていた。いつもカギなどかけられていなかったが、厠の中でバッタリはちあわせになったなんてことはなかった。どうして二つの戸口があるのか親に聞いてもみなかったから、今だにわからない。中野純『「闇学」入門』(集英社新書、本体七二〇円)に、〈暗いトイレがセンスを育む〉という項目がある。
 〈谷崎は、茶室(茶の間)より、厠を好んだ。「茶の間もいいにはいいけれども、日本の厠は実に精神が休まるように出来ている」と日本家屋の暗いトイレを絶賛した。そこには「或る程度の薄暗さと、徹底的に清潔であることと、蚊の呻りさえ耳につくような静かさ」があり、「まことに厠は虫の音によく、鳥の声によく、月夜にもまたふさわしく、四季おりおりの物のあわれを味わうのに最も適した場所であって」「されば日本の建築の中で、一番風流に出来ているのは厠であるともいえなくもない」という。そんな風流な厠は木製で、壁も薄暗かったし、ボットン便所だから便槽の闇もあった。〉(本書より)
 昔の厠の、あの薄暗さは人生の一番心やすまる空間でもあった。そして、私のもっとも、ゆっくりできる感覚は、厠の中の「におい」であった。厠のにおいである。厠独特のあの「におい」はたまらなくなつかしい。今や、記憶の中でしかあの「におい」が存在していない。物のあわれとはこういうものなのかと考えずにはいられない。あの、せまい空間にただよう「におい」のよさを、残念ながら他人に説明しても、まず無理だろう。それよりも、いやがれるだろう。「いい加減にしろ」と、いう話になってしまうはずだ。私だって他人のトイレの「におい」など聞きたくもない。親父は苦労のタネだといって、くみとり作業をしていた。肥おけで運ぶわけだが、その畑が山の奥の遠いところだった。のんき息子の私は、そんなこと関係ないという生活であった。私は厠の小さな窓が好きであった。窓から外をながめている。他人の家の厠の窓からのぞかせている家人の姿に出くわす時があった。どの顔も、ふだん見せたことのない、浮世ばなれした無表情であった。損得のない、いわゆる「いい顔」であった。絵になる顔というべきだろう。果たして、自分もそんな表情で外をながめていただろうか。あの時代のトイレの薄暗さがなつかしい。







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