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評者◆前田和男
若きLGBT人権活動家 尾辻かな子の巻⑥
No.3168 ・ 2014年07月26日




■尾辻かな子にとって「韓国テコンドー・語学留学」は、本来探し当てなければならないものからの“一時避難”ではあったが、それでもそのジレンマから脱出するきっかけにはなった。
 留学中も自分自身の存在にかかわる悩みと迷いは続いていた。留学仲間の男性と知り合う機会もあったが一緒にいても恋愛感情はさっぱり湧かない。かたや女性といるとドキドキする。やっぱり、自分は同性愛者なのだろうか? 確かめたいけれどそれを知るのが怖い。
 5年か6年前にレズビアンをテーマにしたことで話題になった松浦理英子の『ナチュラル・ウーマン』を、事前に日本で買って韓国に持参したのも、そんな心の揺れのなせるわざだったのだろう。内容はあまりに“純文学的”すぎて、リアルな自分の問題とはズレを感じたが、この本には別の面でリアルな“効用”があった。たまたま留学先の友人に見つけられて冷や汗をかいた。まだ自分が同性愛者だという確信はなかったが、同性愛者であると思われたら友達がいなくなるという恐怖心が湧いた。つまり、自分が何者か確かめることを自らに封じていることを思い知らされたのである。
 一方で、その逡巡をいくらかでもほぐしてくれる出来事もあった。韓国留学から一時帰国したときに、歌手の笹野みちるがレズビアンであることをカミングアウトしたのを知ったのだ。さっそく彼女の著作『Coming OUT!』を買って一気に読んだ。同性愛者であることへの気づきと葛藤がつづられていた。松浦の仮想世界に比べると、リアルな世界の現在進行形の物語であるだけに、共感と触発をうけたが、笹野の勇気に促されて自らの殻をやぶる勇気はまだなかった。
 そんな韓国留学を終えて帰国した尾辻かな子は、休学のつもりのまま中退してしまった大学に今一度チャレンジする。その理由を当人に質したところ、こんな答えが返ってきた。
 「日本の比ではない韓国の学歴社会にふれて、大学を卒業していないと生きていかれないのではないかと強い不安に駆られたからだ」という。同年代より4年遅れなのでいっそう就職が厳しい。そのハンデを乗り越えるために、会計士の資格をとってビジネスの世界で生きていこう。そこで商学部か経営学部に狙いを定めた。4年前に環境問題への漠たる関心から林学・園芸系の学部を選んだのと比べると“実人生設計”にもとづいた実に現実的な選択である。
 てっきり私は“生まれ出る悩み”を抱えているのだから、それを究めるために哲学なり社会学からジェンダー論を学ぶため大学をめざすという答えを予想していた。がっかりしたわけではない。むしろ「人権活動家という“栴檀”は双葉より芳し」という旧世代の偏見にとらわれていたと大いに自省させられた。将来に不安を抱く社会人前の“普通の女の子”として特段に変わっていたわけではない。その一方で、大学受験は、自分が何者なのかを知りたい反面、それを自分自身にも隠しておきたい、そんな厄介な葛藤から“一時逃避”するための便法であったことも否めないだろう。
 尾辻のチャレンジ精神をもってすれば、若き女性ベンチャーの一人になって成功を収めていたかもしれない。しかし、リアリストである多くのLの人々からするともっとも遠い世界である「政治」へやがて尾辻は足をふみこむことになる。それは皮肉にも本質的関心事からの“一時回避”として選んだ大学生活がきっかけだった。
 東京と京都の私大の商学部と経営学部を受験、早稲田大学商学部以外の明治、学習院、青山学院、立命館、同志社に合格したが、親元から離れて自活できるという条件を勘案して同志社大学商学部に入学する。同年代から4年遅れの22歳の春だった。
 ちょうど2年前、年子の兄が高校中退した後、一念発起、大検をへて三浪で国立大学医学部に合格。尾辻家には朗報ではあったが、二人の子供をこの先4年間大学へ通わせる経済状況にはなかった。父が仕事の関係で膨大な借金を抱え、すでに高校時代から授業料も引き落とされない、挙句は消費者金融から電話がかかってくる事態が生じていたのだ。だから受験の費用もクロネコヤマトの歳暮のアルバイトで捻出した。入学するとこれに授業料と下宿代が加わる。朝晩の新聞配達と飲食店のアルバイトでひたすら稼いだ。一ヵ月で約25万円、それで学費と生活費を賄った。
 そんなアルバイト漬けの生活でも尾辻はなおアグレッシブだった。テコンドー同好会と名門英会話クラブのESSに参加。将来英会話は必要だというこれまた現実的選択によるものだったが、そこで「年下の先輩女性」を好きになってしまう。これまでは女性に想いを抱いても“いけないこと”だと抑えることができた。しかし今度ばかりはそれができない。初めての抜き差しならない本物の恋に落ち、それによって自分が同性愛者であることをはっきりと自覚したのである。
 想いを伝えずに仲のよい友達のままでいるか、想いを伝えてすべてを失うか、迷いに迷ったが、悶々と悩むことに耐えきれなくなって決着をつけることにした。
 クリスマス前のある夜、一時間ほど食事をしながら他愛もない話で時間をつないでから意を決して本題を切り出した。「好きな人がおんねん、誰やと思う?」。
 彼女は「私の知ってる人?」と言って、ESSサークルの中で尾辻と気の合いそうな男子の名を何人か挙げたが、もちろん当たるはずもない。
 尾辻は躊躇した挙句、勇気を奮って言った。「私の目の前にいる人」。
 「それ、ホンマ? びっくりしたー。でも、言ってくれてありがとう」。異性愛者の先輩女性は精一杯気をつかいながらやんわりと返した。「でもな、今、ほかに好きな人がいるねん。告白のタイミングが悪いわ」。
 こうして尾辻かな子の本格的な初恋は実ることなく散った。
 尾辻は、このときのことを「自分自身へのカミングアウト」だという。好きになった相手に愛を告白することを通じて、自身が同性愛者であることを自分に告白した人生の一大転機であったと。それはまた、若きLGBT人権活動家の卵が生まれた瞬間でもあった。
(文中敬称略)
(つづく)







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