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評者◆倉石一郎
ミシシッピーの熱い夏、いま農園に
No.3168 ・ 2014年07月26日




■私の住む場所からたった二ブロックほどの距離に、大きなグロッサリー(スーパー)がある。徒歩一〇分ほどなので何の迷いもなく歩いて買い物に行くが、私のように徒歩でアプローチしている客を一人として見たことがない。併設された巨大な駐車場に車で乗りつけ、鬼のように大量に買ってカートで車まで運び、走り去っていくのだ。車で移動できない交通弱者の私にとって、こんな近所で食べ物が買えるのはまさしくスーパーラッキー(?)だが、実はこれ、たまたま運が良かったというだけではすまない話なのだ。
 アメリカにはフードデザートという言葉がある。文字通り訳せば「食べ物不毛地帯」とでもなるのだろうか、要するに生鮮食料品が買える場所は郊外の大型店しかなくなってしまった一方、インナーシティーに取り残された貧困層やマイノリティは車を所有していない場合が多く、そうした店に買い物に行くすべがない。この状態を「砂漠」になぞらえたのがフードデザートという言葉である。で、砂漠の住人はどうなるかと言えば、まともな食材にありつけないので、そこらの店で買えるジャンクフードやソーダ(コーラはじめ清涼飲料水)ばかり飲み食いすることになる。特に悲惨なのが子どもたちで、物心ついたときからずっとこうした食生活を続
けているため、糖尿病など成人病予備軍にまっしぐら、という道をたどるという。
 今年がミシシッピー・フリーダムサマーから五〇周年の節目にあたることは以前書いたが、深南部からはるか離れたここウィスコンシンの歴史協会に、フリーダムサマー関係資料の一大コレクションがある。教育に関心のある私は、北部のボランティア学生がミシシッピーの黒人の子どものために一夏のあいだ開いた「フリーダムスクール」に特に心惹かれて、資料を漁っている。そのうちに、文書にときどき登場するある名前が気になりだした。リズ・ファスコ(Liz Fusco)というのがそれで、多くのボランティアは夏が終わると北部へ帰っていったのに対し、ファスコという人物は二年間ミシシッピーに滞在し、六四年秋からはフリーダムスクールのディレクターを任されたと記録にある。そもそも彼女は学生ではなく、何年間か高校で教えたキャリアを持ってこの運動に身を投じた。一体どんな人なのか。歴史協会の学芸員の方に何気なくリズのことを尋ねると、コンタクト先を軽い調子で教えてくれた。コネチカット州ニューブリテンという町の住所とともに教えてもらったメールアドレスに、おそるおそる連絡をとってみるとなんとすぐに返事が来た。フリーダムスクールのことに関心を持って研究したいのだが会ってくれますか、という見ず知らずの日本人からのぶしつけな申し出に、快く応じてくれたのだ。
 彼女はいまエリザベス・アーロンソンという名前を使っている。アーロンソンさんはアムトラックのハートフォード駅に、フリーダムサマーのマークの入ったTシャツを着て迎えに来てくれた。私には尋ねたいことが山ほどあった。ミシシッピーでの経験はもちろんのことだが、北部に帰って教職に復帰したあとのことも尋ねてみたかった。だがアーロンソンさんがまず私たちを連れて行ったのは、ニューブリテンにある「オークス都市有機農園」というところだった。教職をリタイアされてから一五年、ひたすらに打ち込んできたのがこの有機農園づくりである(写真1)。農園に向かう車の中でアーロンソンさんは語ってくれた。自分がミシシッピー以前、ミシシッピーの最中、そしてミシシッピー以後もずっと社会変革をめざしてきたその帰結が、この農園なのだと。道中、郊外型の巨大グロッサリーが見えた。あそこに売っている野菜や果物がいつまでもピカピカで腐らないのはなぜか、とアーロンソンさん。答えは言うまでもない。またしばらく走ると、昼間から所在なく路上にたむろする黒人の若者を多く見かける一角に来た。たむろする若者のそばにはきまって、ジャンクフードとソーダを棚に満載した雑貨屋みたいな店がたつ。彼らを尻目に語るアーロンソンさんの口から「フードデザート」という言葉が飛び出した。目的地の農園はそのすぐそばだった。
 農園では、ビニールハウスの中も外も、さまざまな野菜が育っていた。印象的だったのはボランティアとして、農園を手伝いに来ている地域の人たちの姿だ。あの人たちが、時に五〇年前のフリーダムサマーの学生ボランティアの姿にダブって見えるのだという。農園の移動店舗が開かれている近所の学校の駐車場で、私たちは果物や野菜を購入した。金曜と土曜には、農園そばの本店舗で販売するそうだ。あのジャンクフードばかり食っているに違いない砂漠の住人の口に、この農園の野菜や果物は届いているだろうか。
 アーロンソンさんは私に気を遣って、自宅で話をする時間も作ってくれた(写真2)。ミシシッピーのお話も伺ったが、私には駅で会ってから車で農園に行った先ほどの経験の方が鮮烈で、脳裏を離れなかった。あの農園こそがアーロンソンさんそのものであり、存在のアルファでありオメガなのだ。またアーロンソンさんは、人生で旅をしたことは二度しかないという。一度はミシシッピー、もう一度はコンファレンスで行ったホノルルとのことだ。血みどろの闘争の場であった苛烈なミシシッピーでの二年間を「旅」と表現したことに、私は打たれた。この農園にゆきつくまでのはるかな旅路に思いをはせた。
(続く)








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