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評者◆池田雄一
鈍器を持って街にでよう!
No.3168 ・ 2014年07月26日




 ――蓮實重彦『「ボヴァリー夫人」論』(筑摩書房)が出ましたが、八〇〇頁を超える大著ですね。
▼「ボヴァリー夫人」という小説のなかに「エンマ・ボヴァリー」という固有名はひとつもでてこない。にもかかわらず、人びとは「エンマ・ボヴァリーは不倫のはてに自殺した」という事実を受けいれている。これはハイデッガー的に言えば「存在忘却」ならぬ「テクスト忘却」と言っていい事態だ。
 ところがテクストはテクスト自身として語ることができない。そこで要請されるのが、方法としての「テーマ批評」だということだよね。テーマ批評というのは、G・バシュラールあたりからはじまって、G・プーレやJ=P・リシャールといった人たちがやってきた批評だけど、バシュラールなんか、意外とハイデッガーに近いんじゃないの。
 ざっくり言うと、読書というのは、内容面からのアプローチと形式面からのアプローチがあるでしょう。フォルマリズム以降、形式に重点がおかれるようになったけど、その反作用として「計算高い作者」のイメージが要請されるようになった。それを回避するには、テーマ批評のような読み方を導入する必要があったんじゃないの。
 たとえばこの本では、シャルルの父親のことを「超-説話論的」存在として規定している。父は、息子を都会の学校に入れてほしい、という母親の「懇願」に、まるで関心というものをしめさない。この父には、責任ある応答という選択肢がはじめからないんだよ。母の願いは、たまたま気が向いたから、という恣意的な動機による「報酬」によって実現されるにすぎない。恣意的である以上、シャルルの父は、物語の内部にいながら外部に属していることになる。この「懇願」と「報酬」のテーマ系が、作品の最後においても、「オメーの叙勲」をめぐって反復されている。それにしてもこの本、もはや鈍器と言ってもいい分量だよね。
 ――星野智幸『夜は終わらない』(講談社)が単行本として刊行されました。「群像」で二年にわたって連載された集成です。
▼かなりの力作と言えるのでは。星野智幸という作家は、デビュー当時から人間の身体が、いろいろな形で複数化していくことについて想像をめぐらせてきた。複数化した身体にトロミがでて、ついには流体のイメージにまで達するところが、星野的な作品のいいところなんだけど、『俺俺』ではそれを封印していた。俺は俺の記号として複数化していったわけだ。一方で『夜は終わらない』では、エピソードそのものが、まるで流体のように淀みがない。この作品は、有名な『アラビアン・ナイト』をモチーフにしている。どうも『アラビアン・ナイト』そのものが、オリエンタリズムの産物らしい。中東ではあまりうけなかった話を、イギリスの中東研究者が再発見する。しかももともとは、千話もなかったらしい。
 ――吉村萬壱『ボラード病』(文藝春秋)も先日単行本化され、話題になっているようです。
▼帯にファシズムという言葉が使われているけれど、たしかにこの作品は「絆ファシズム」のアレゴリーとして読める。作品の舞台は、原武史の『滝山コミューン一九七四』(講談社文庫)を彷彿とさせるよね。小学校のような「中間団体」はすばらしいというイデオロギーが、一九七〇年代くらいまではあった。そのイデオロギーと絆ファシズムがうまく結びついている。
 この話が笑えないのは、つい先日も、風評被害をなくすために、福島県への修学旅行の誘致を強化するという話が、復興庁からでてきたりするから。まさに絆ファシズムだよね。子どもって人権があってないような存在だから、ユートピア的衝動の道具にされやすいんだよね。あと、子どもが次々に死んでいくあたりは『漂流教室』のような雰囲気もある。でも『ボラード病』は、子どもの死に方の描き方に意味づけをしないで、演劇性のない、ただの無意味な不在のようにして死なせていくところがいい。
 ――「群像」には山下澄人「ルンタ」が載っていましたが、彼の作品の、読むことを止めたくても止めさせてくれないループ感というか、ずっと読まされてしまう作品世界の感じってなんなんですかね。
▼「ルンタ」は、物語というよりは、スケッチの集積物に近いんだと思う。番号が打たれているけど、これは史料の番号のようなもので、読んでいく過程で史料1と史料2の相互関係性みたいなものが浮かびあがるという感じ。逆に読み手としては、全体化されないと記憶に残らない。だからくり返し読まないと、きっと頭の中に地図ができてこないんだよ。
 ――なんだか、長篇詩のような感じに思えてきました。
▼小説って、読者の想像において時間を実現させるジャンルだけど、詩は言葉そのものが空間的に配置されている。その意味では、「ルンタ」は詩に近い。番号のついた文章を畳の上にすべて並べてみて、上から見てみる、というような読みができる作品だよ。作品が以前よりもシンプルになるにつれて、こうした方向性が明確化されてきた気がする。今後はどういう手を打ってくるのか気になるよね。
 ――「すばる」の中野納子「キャンプin沖縄」はどうでしたか。
▼心地のいい夢へと読者をいざなうロードムービーみたいな作品だよね。主人公がいきなり沖縄戦の悲惨な情景を想像したり、ところどころに無理があるのは確かで、出来としてはよくないんじゃないかと思わせるんだけど、この小説に流れるまったりとした空気感が、それを上回るんだよね。なんかこの脱力ぶりがいいというか。でもまあ、ホントぐだぐだなんだけど。
 ――前にも言っていた「作品の人徳」みたいなものですかね。「脱力ぐだぐだ系」を目指したとしたら、なぜ沖縄戦のことを入れたのか、やっぱり引っかかります。主人公の職場の人が自殺した挿話とかも、やっぱりちょっとアレなんですが。
▼いいんだよ。最初の話に戻るけれど、小説は「計算高い作家」によってすべて作り上げられるものじゃない。『「ボヴァリー夫人」論』の話に繋げて言えば、存在してしまった以上、否応なく「テクスト的な現実」となってしまうのが作品なわけだから。
――つづく







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