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評者◆小野沢稔彦
ユートピアを生きる人々の物語――王兵監督『収容病棟』
No.3167 ・ 2014年07月19日




■『収容病棟』はワン・ビンが発見した、中国国内にある〈ユートピア〉を生きる人々の物語である。さて、このドキュメンタリーへの問いを次のことから始めよう――この映画には一切のナレーション(作者による説明)が排除されており、更に特筆すべきこととして、いわゆるインタビュー(撮影対象者への)と応答が排除されている――インタビューなど、どうあろうと訊く者と答える者の願望や社会的要望の再生産にすぎない――のであって、このことはいくら強調してもしすぎることはない。
 ワン・ビンはひたすらに、対象に付くでもなく離れるでもなく、収容者との間に微妙で曖昧な空間(それは関係の時間でもある)を開けたままに、一見してこの時空を保ち続ける。この距離がこの映画の方法であり、この映画を成立させる。このことによって「精神障害者」収容施設とそこに生きる人々が形成する、この私たちの世界そのものを表象し、そのあり様を浮上させる。そこでは収容者がどんな出自を持ち、どんな病状によって、どのようにここに収容されているのかは一切明示されず――そんなことにどんな意味があるのか――彼らはただカメラの前に生きる存在としてあるのであり、主たる登場人物だけがその名前と収容の時間をスーパーされる。ワン・ビンのとる対象者との距離は、収容病棟に蠢く人間の位相が、あたかも市民が集う場、あえて言うなら公園の〈風景〉のように何ら変化することのない日常をくり返す、なにかを待ち続ける、この社会の似姿として収容所と人々を映し出す――それぞれのその内部に多様な物語を秘める平穏な市民生活(ベケットをさえ想い出させる)。
 精神障害者の収容施設が、その国家の反映であることは言うまでもないが、中国という国家にあってそれは、国家からも民衆からも無視され、切り棄てられた無用な人民をただ生かさず殺さず――症状の改善など端から意図されず、したがって社会復帰など予定されていない――、国家から無用者を遠ざけ、生きようと死のうと国家にとってまったく関心の外にある存在であり、そのための施設なのだ。つまりここは、人間に係わる施設ではなく、人間的な環境に要求される清潔さや、人格的な対応などない単なるモノの放置場所なのだが、それ故に、つまり国家の関心の外にある〈どこにもない場所〉となっており〈国家内ユートピア〉として、彼らがかつて、そこに収容されることになった様々な被抑圧の情況や、社会的原因、疾病者とさせられてしまった現実などが生ずる、そうした剥き出しの「国家」=社会関係とはまったく隔絶された、一種のアジールとさえなっているのだ。したがって、ここで生きる、放置された者たちは「国家」の裡に幽閉され、国家によって「異常者」と名ざされた様々な問題者であった時とは違って、国家を遠く離れてくらす所在不明の、あるいは国家の拘束を離脱した存在性なき者として、過去も未来もなく、ただ「現在」を勝手に生きるのだ――その、重しのとれた自由人としての生。勝手に生き、死ぬ人々の表情の持つある健やかさ。
 しかし同時に、国家から放り出され、存在性なき無用者として生を送るのは、一切の人間的(国家内的)権利や人格(国家が認める)を無視されてあるのだから、当然のように国家的庇護の一切は与えられない。彼らは全ての社会的関係性から断絶され、朝晩に与えられる(症状に合わせて調合したとも思えぬ)、多分、性欲やあらゆる意志力や運動能力の抑止剤としての薬剤投与と注射、それに命を持続させるだけの食料配給があるだけであり、その環境の中で丸裸の自己(それも当たり前とされる「人間的」な一切を切除された)だけが、その現在の中を生きているのだ。
 しかしこの映画を観る私は、やがてこの名づけようのない時空、ワン・ビンの世界の中に私の身体を遊ばせ、ただその世界を観賞するのではなく、共有的にその収容所の時空を遊び始める。その時間と空間の作り出す不思議な快楽の中に、この二一世紀の「国家=社会」とは別な、何とも堪えがたいと同時に甘美で不思議な時間を、現実としてその内部にくらす人々と共に(彼らは愉しいとか、苦痛とかとは別の地平にいる)私も生き始める。ワン・ビンの時。
 そこでは生も死もそして性もまったく〈個〉のものではなく、その極限化された〈空間〉のものである。なんと形容すればよいのか。しかし、ここには確かに、ある〈共同体〉が生成されている。性愛――男女の性愛も、二重三重のホモセクシュアルな営みも、そしてあらゆる性の営みがここには豊かにある――をこれほどあからさまに語った、それもパーソナルに限定された関係を軽々を超えた性愛が、これ程豊かに日常的に記録されている映画を知らない。それを微妙な距離をとったワン・ビンのカメラは実に淡々と描きつくす。だから逆に、このユートピアから追放された――一人の収容者が症状改善の結果、かつての生活の地へもどされる――一人の男は、かつてのくらしの場所のどこにも、その居場所を見つけることが出来ず、行き先のあてのないまま、ただ虚しく道を歩き続けるしかない――、この帰還者とも一定の距離を保ったまま、付かず離れず追いかけるワン・ビンのカメラは実に秀逸であり、そこには国家の内に生きることの悲惨さが滲み出ているのである。
 それにしても「収容病棟」とは何なのであろうか。この映画でワン・ビンが垣間見せた世界は、二一世紀の国家に包摂された国家内国家を超えた何か――紛れもなくそれは、酷烈な国家意思が顕現する国家の裡にあるもう一つの残酷な国家そのものであるのだが――、国家的なあらゆる関係性から排除されてある故に生まれたユートピアであり、そこに生きる人々は、それ故国家内人間ではない。やってきた〈ゴドー〉的存在性そのものたる存在なのだ。そこでは国家に包摂され従属し、そのことに喜々として生きる私たちとはまったく別な位相を生きる人々が、それぞれの現在を生きているのである。
 かくしてワン・ビンの描く『収容病棟』の人々の物語は一つの寓話となる。
『収容病棟』は、シアター・イメージフォーラムほか全国順次公開中。







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