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評者◆秋竜山
縁の下の枯木の薪、の巻
No.3167 ・ 2014年07月19日




■捨てちゃえ、捨てちゃえ! どーせ拾った恋だもの~、という歌詞の流行歌があったような、なかったような。恋とは捨てるものであり、捨てられるものである。これとは全然違うのだが、辰巳渚『新装・増補版、「捨てる!」技術』(宝島社新書、本体七〇〇円)を読む。本書は、捨てるを目的とした、その技術である。いかに捨てるか!!だ。以前、よく捏ねた土で、目の前のヌードモデルを見ながら、あーでもない、こーでもないと形にした。本来は芸術家のすること。私はド素人で芸術のゲの字もなし。ヤジ馬。まず、土のかたまりをデーンと置き、その土を、モデルを見ながらけずっていく。土のいらない部分を容赦なくけずりとって捨てていく。必要な部分の土によって作品は完成される。もう一つのやりかたとしては、最初から必要とする土を手にして積み重ねていく。重ねられた土によって作品は完成する。先の作業は引き算であり、後は動作を加えていくのだから足し算ということになるのだろう。絵では紙の上でこの二つの動作が繰り返される。立体と平面の違いである。
 〈人間の身体は、飢餓状態を基本に作られているという。本来、動物は常に食糧を探してうろうろしているものだ。草食動物は栄養効率の悪い植物を常に食べつづけ、肉食動物は逃げようとする餌を狙って走りまわる。いったん、餌の動物を捕まえて腹いっぱい食べると、次に飢えてくるまで寝ころんでいる。自然のなかでは飢餓が当たり前。だから、動物の身体は飢餓に対応する仕組みがきちんとできているし、まず「お腹が空いた」という信号を、「グー」という音や胃の痛みで、ちゃんと発するようにできている。それなのに、人間だけがありあまる食糧を手に入れた。〉(本書より)
 これが、人間のモノあまり現象となるわけだ。本書では、〈そもそも、モノを持ちたいという欲求はなぜ起きるのだろう。〉と説く。つまりは、無自覚にモノを持ち、しまい込むのである。こんな馬鹿げた発想はやめて、まず、捨てなさい!!ということである。そーいう時代であるということなんだろう。こーいうことがあった。昭和二十年代、私は丸ごと子供時代ということになる。昭和二十年代というのはどのような時代であったか。もしかすると、江戸時代の最後の年代ではなかったかと思えてくる。田舎暮らしだと、そういう生活をしていたからだ。今のような電化製品などなく、茶の間には、いろりというものがあった。灰を仕切った中央で火を燃やした。江戸時代というより、原始時代というべきかもしれない。その火で食糧を煮炊きした。その火は、薪で燃やした。薪は生活の命でもあった。親父が大量に買いこんで、床下へつみ上げるようにして敷いてならべた。これだけあれば十年間は大丈夫だと、親父がいった。その十年もたたぬ間の昭和三十年代、電化の時代となった。宝のような薪はなんの役にもたたなくなってしまった。役たたずのものを縁の下へ寝かせておくべきか。用もないものだから捨てるべきだろう。親父は、もったいなくて、それができなかった。結局はガサガサの枯木となってしまった。そんな思い出が私にはある。親父の気持ちがよくわかった。







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