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評者◆岡 一雅(MARUZEN&ジュンク堂書店梅田店)
南朝と室町幕府の抗争の実像とは
南朝の真実――忠臣という幻想
亀田俊和
No.3167 ・ 2014年07月19日




■私のような世代でも楠木正成と聞けば即、「南朝の忠臣」と答えてしまう程、混沌とした南北朝時代において大きく光り輝く存在だ。鎌倉幕府の大軍を翻弄した軍略、不利を承知で建武政権に反旗を翻した足利尊氏と湊川で戦い、華々しく散った最期……。正成の生涯がそのまま、一般的な南朝像〈後醍醐天皇と大義に殉じた忠臣〉イメージに結びついたと言っても過言ではないだろう。
 しかし、そのイメージが鮮烈であるが故に、史実に於ける南朝の実態については殆ど知られていない。本書はそういったイメージ先行の南朝像をリセットし、改めて南朝と室町幕府の抗争の実像に迫る試みである。
 政権構想を巡る後醍醐天皇と足利尊氏の争いが、南北朝時代60年余りの混乱の要因だが、その違いはただ一点「主権者が天皇なのか将軍なのか」に尽きる。この唯一の違いを除くと、建武政権の施策や運営システムを室町幕府にも反映させ、建武政権の後継者であることを様々な場面でアピールしている、と述べる著者の指摘は非常に興味深い。
 尊氏挙兵後、建武政権が定めた「建武」の年号を引き続き使用し、室町幕府の政策スローガン『建武式目』に、武家政権の理想として挙げた鎌倉幕府創成期の執権「(北条)義時・泰時父子の行状」と共に、後醍醐が天皇親政の手本とした「延喜・天暦の特化」を目指すべき治世として挙げていること。
 また、鎌倉から室町に至る迄、常に政権最大の課題であった本領安堵や恩賞充行についても、雑訴決断所の文書発給システムを室町幕府がほぼそのまま活用していることを、残された史料を比較検討しながら証明している。
 更に特筆すべきは、湊川合戦後に上洛を果たした尊氏が、後醍醐の大覚寺統と対立する持明院統の光明天皇を即位させた際に、後醍醐を太上天皇として遇し、後醍醐の子である成良親王を皇太子として立てていることだろう。敗者の天皇上皇への措置として、遠方への配流もなければ自身の子孫が皇位を継ぐことが出来るという、これらの待遇は文字通り破格と言える。
 そして後醍醐が崩じた後、北朝の決定を覆してまで行なった7日間の政務停止に、菩提寺(天龍寺)建立のために元に交易船を派遣するに至るまで。本来尊氏は、後醍醐天皇とその朝廷に対立する立場であり、存在を真っ向から否定してもおかしくはない。しかし、これらの事実を踏まえれば、尊氏は後醍醐にとって「忠臣」と呼ぶに足る人物ではなかったか、と思うのも決して可笑しなことではない。
 では「忠臣」大楠公正成はどうだろう。
 南朝・室町幕府双方で幾度も内紛が起き、その都度、敵味方が入れ替わる時代に示された出処進退の潔さは、同時代の敵味方関係なく、そして今日まで賞賛されてきた。
 だが、昔も今も「忠臣」正成のイメージは、その潔さが余りに強調されてはいないか。むしろ、正成の武将としての力量「現実性と合理性、そしていい意味での狡猾さをこそ本当は学ぶべき」ではないか、と著者は説く。
 正成を「忠臣」尊氏を「逆賊」とした皇国史観や名分論から自由になって半世紀余。歴史学では実証的研究が着実に成果を挙げてきている。なにより本書もその成果の一つだ。
 その一方で道徳教育の教科化に伴い、授業の教材として歴史上の人物が取り上げられると聞く。今更、皇国史観が歴史学や教育の現場に亡霊の如く現れるとは思わないが、嘗ての「出処進退の美しさ」を称揚した結果を知るだけに果たしてどうなのか……? そんなことを、ふと考え込んでしまうのは、気苦労のし過ぎと嗤われるだろうか。







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