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評者◆清原 悠
レイシズムを抑制するには何が必要か――ドイツ・オーストリアからの教訓
No.3167 ・ 2014年07月19日




■リレー・エッセイ「ヘイトスピーチ・レイシズムを考える」を始めるにあたって

 このリレー・エッセイは、昨年来注目されているマイノリティへの差別表現「ヘイトスピーチ」と、その背景にある差別問題を考えるための手がかりを皆で出しあうことを目的にしている。特に、この問題についてなんらかの関心はあるが、どこから手をつけていいか分からない方に、3分で読める役に立つ「知識」「考え方」を、知的に面白い読み物として提供することが企画者である私の狙いである。
 というのも、「ヘイトスピーチ」は昨年流行語になり、良質な「新書」や「専門書」も幾つか出されるようになってきているものの、それを手に取る人はまだまだ少ないと思われるからである。「差別」という問題に関わるのは敷居が高い、そんな逡巡を覚える人は多いはずであるが、そんな読者とともに第一歩を歩み出すための場を作りたいというのが昨年来の私の考えであった。
 もちろん、基本が最も重要とよく言われるように、決してレベルの低いものを提供する意図はない。既にこの問題について何らかの考えや、行動を示している人にとっても有益なものをこのリレー・エッセイでは提供していきたい。企画者の私自身、これから先どのようなエッセイがやってくるか未知なのであるが、それを含めてこの問題に関わってくれるであろう方にバトンを渡して、良質な言論を紡いでいきたい。これから少なくとも一年間、隔週連載ではあるものの、エッセイの書き手、読者に文字通り次々とリレーがつながっていくことを願っている。
 最後に、出版・メディアに関わる方にお願いしたいのは、このリレー・エッセイの書き手に注目して欲しいということだ。書き手は皆、いずれかの分野のエキスパートである。面白い書き手を見つけたら、その人が書いている他の文章や今後書くであろう文章も読んでみて欲しい。このリレー・エッセイは良質な言論の担い手の紹介を兼ねており、こうした人材を活かすことは日本社会の次を考える上でプラスになるはずである。
(企画者‥清原悠 東京大学大学院博士課程/日本学術振興会特別研究員 社会学)
 レイシズム(人種主義)などの差別に反対することは難しいことなのか。昨年は、「民族」などの個人では変更が難しい「属性」を対象にした差別的な発言をすることを指す「ヘイトスピーチ」が流行語トップ10に選ばれた。その背景には、2007年に結成された「在日特権を許さない市民の会」といった団体によるヘイトスピーチを伴った新宿・新大久保でのデモの頻発や、それに反対する人びとによるカウンター運動が2013年に立ち上がったことが存在する。しかしながら、まだ多くの人はこの問題を知らないし、仮に知っていてもどう反応したらよいかわからない人も少なくないだろう。
 実際に、筆者は昨年このヘイトスピーチ・レイシズムの問題について様々な知人と話をしたが、その中には次のような反応があったことが記憶に残っている。「在特会とかは構ってもらうことが目的なのだから、あんなのは無視すればいいのだ」。この知人は「差別などありえない」という考えの持ち主であったが、だからこそ筆者には印象に残っているのである。あるいは、次のような意見も耳にした。「ヘイトスピーチなどの最近の目立つ差別に反対する一方、日本の戦争責任をなかったことにするこれまでの歴史修正主義の問題には反対しないのか」。以上のように、「差別」をめぐる認識においては、未だ人々の共通了解は十分にできているとは言えない。現状では「ヘイトスピーチ」は文字通り「流行語」としてのみ消費されてしまうのではないかという危惧を筆者は覚える。
 一体、私たちは「差別」にどう向き合えばよいのであろうか。そのようなことを考えた時、一つのヒントはネオナチの台頭に向き合ってきた西欧の経験から得ることができるように思われる。ここで紹介したいのは、デイヴィッド・アートによる「極右への反応――ドイツとオーストリアからの教訓」(2007年、『Party Politics』誌、13巻3号)という論文である。アートは90年代以降に盛んになった西欧における極右研究の第一人者である。その彼は80年代の極右政党の台頭の要因について、ドイツとオーストリアの比較分析を試みている。つまり、ドイツでは極右政党であるドイツ共和党(REPs)の台頭を抑制することに成功した一方、オーストリアではナチスの政策を称賛するイェルク・ハイダーを党首としたことで右旋回したオーストリア自由党(FPO)の躍進を許してしまった要因を検討しているのである。
 その中で彼は、極右勢力が依拠する歴史修正主義的な言動に対して市民や政治家がどのように反応したのかの「世論」、特にマスメディア(大衆紙=タブロイド)の反応の仕方に注目している。ドイツでもオーストリアでも大衆紙はよく読まれ、国民の政治的意見の醸成に重要な役割を果たしている。ドイツでは1989年の選挙時に極右政党であったドイツ共和党に対し、これらの大衆紙が明確な批判を打ち出し、ドイツ中で反対デモも展開された。その結果、既成政党は極右政党と協力する戦略を放棄し、マイナスのイメージを付与されたドイツ共和党は以降の選挙で票を伸ばすことが困難になった。また、集会のための場所を借りることも容易ではなくなり、党の運営にも支障をきたすようになったのである。更には、ドイツ共和党に個人が賛意を示すことはその人の評判を下げ、友人を失う危険性、職場での昇進が阻まれる危険性を抱えることになり、新たな党員の獲得はほぼ不可能となっていった。
 他方、オーストリアではイェルク・ハイダーがオーストリア自由党の党首になった1986年、党内部から多くの離脱者を出し、幾つかの政党はオーストリア自由党との連携を拒むようになりながらも、以降の選挙では一貫して支持を伸ばし、99年には第二党になる。なぜ、オーストリアはドイツと異なる結果を生み出したのか。それはオーストリアで40%以上もの人が読んでいる大衆紙クローネン・ツァイトウンクがハイダーを「へつらわない代表であり、人びとにとっての真に不可欠な同志」であると擁護し、オーストリア自由党にとって重要な「同盟者」となったからである。ドイツではドイツ共和党が1989年のベルリンの地方選挙で7・5%の得票率を得た時に1万人の人々が抗議行動をしたが、オーストリアでは1986年の国政選挙でオーストリア自由党が10%近くの得票率を得ても市民の抗議行動は起きなかったのである。
 以上の違いは、ナチスの戦争責任にドイツとオーストリアがそれぞれどう向き合ってきたのかの違いに由来している。歴史修正主義に向き合い、それに異を唱えることが極右政党の台頭に抑止をかけるのである。もちろん、この話を即座に日本に適用することは乱暴かもしれない。しかし、日本では与野党の政治家が歴史修正主義的発言を「本音」としてくり返し述べ、書店にはほとんど同じような内容の「嫌韓」「反中」本が恥ずかしげもなく溢れかえり、電車内の週刊誌の中吊り広告では中国や韓国への憎悪を煽るような表現が示されているのが現状である。このような日本社会の健全性を「海外」の目を借りて省みる必要はあるだろう。
(社会学)







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