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評者◆倉石一郎
ひとつ屋根の下で……
No.3166 ・ 2014年07月12日




■私はいま、マディソン市郊外の住宅街のとあるお宅にホームステイしている。ホストは私より少し年長の白人男性で、普段はこの一軒屋に一人で暮らしている。ツーベッドルームのこぢんまりした家だが、彼のメンテナンスが細部まで行き届いていて実に快適な住空間である。ところで日本を発つ前に、アメリカでの住居について尋ねられて自分のプランを話すと「え?(含み笑い)大丈夫なの?」という反応が返ってくることが時々あった。要するに、性関係を迫られたりすることはないのかと言いたいのだろうが、同じ屋根の下に暮らすものの間には必ず、性的結びつきが存在するに違いないという決めつけには、困惑するしかなかった。
 さて、大学の敷地内にあるウィスコンシン歴史協会の史料庫には、全米五〇州の教育行政関係史料がアルファベット順に並べてある。黒人教育に興味があるので南部の州の棚はよく見ているのだが、ジョージア州の棚に薄っぺらい冊子のシリーズが並んでいて、めくってみると三角屋根の建物の前で撮った集合写真の下に簡単な説明がついた、似たようなページが延々と続いている。建物は学校の校舎で、並んでいるのは生徒と先生だ。そう、これは州教育庁が行った教育サーベイレポートで、辺境な農村地帯にくまなく調査が入り、一九一〇~二〇年代の公立学校の現状を記録したものである。
 英語の資料の洪水のさなかにいると常のことだが、写真をはじめ図像の方に強く引き寄せられてゆく。ことにこのジョージア州のレポートでは、一枚一枚の写真に食い入るように見入ってしまった。まず建物だが、どの写真を見ても学校の校舎と言うにはあまりにかわいらしく、その姿は私のホームステイ先の家そっくりだ(写真1参照)。そして校舎の前に固まって立っているのはせいぜい二~三〇人、これで全校生徒と全教職員である。日本で言う「村の分教場」の風情だが、アメリカではどこにでも見られた「典型的」なものだった。全米津々浦々に建国以来建てられ続け、コミュニティの核として存在感を発揮し、第二次大戦後もかなり長いこと残っていた、いわゆるワンルームスクール、ワンティーチャースクールである。一人もしくは数人の教師のもと、年齢もまちまちの子どもがまさしく「ひとつ屋根の下で」学んでいたのだ。
 各学校に一ページずつ割かれ、写真付きの紹介がされているのだが、冊子の末尾に数ページだけ、“ニグロスクール”(黒人学校)と題されたコーナーがあり、郡内の黒人学校が幾つかピックアップされている。写真も小さくおざなりな扱いだ。言うまでもなくこの頃のジョージア州はジム・クロウ体制真っ盛りであり、白人と黒人の学校が分離されているのはもちろん、後者には十分な予算を回さずハードもソフトも著しい劣位に置かれていた(写真2参照)。もう一つ気になったのが、白人学校の方にときどき、校名の下に「スタンダードスクール(基準を満たした学校)」と添え書きされている場合があった。それはたいてい、校舎は木造でなくレンガ造りの堅牢なもので、教員の名簿欄にも大勢の名前が並び、一言で言うと大規模な学校であった。この称号は一体なんだろうか?
 このちょっとした謎は、すぐに解けた。世紀転換期から第一次大戦までの米国は革新主義期と呼ばれ、合理的、効率的な観点から社会を改造する運動が花盛りとなる。教育界でも学校改良家たちが熱心な議論を戦わせたが、そこでやり玉にあがったのが特に農村部に多いワンルームスクールだった。全米中に星の数ほどあったこの小さな学校は、学期の長さも教師の学歴・給料もカリキュラムも統一されておらずまちまちだった。まず試みられたのはコンソリデーション、つまり学区の統合を通じてこうした小さな学校を整理し、一校に資源を集中させることだった。合い言葉は「大きい学校ほど良い(ビガー・イズ・ベター)」であった。しかし学校統合キャンペーンは地理的な理由から統合困難な所も多く、反発もありあまり功を奏さなかった。そこでとられた迂回戦術が、「標準化(スタンダーダイゼーション)」政策であった。州が求める水準をクリアした学校にはお墨付きを与えコミュニティの栄誉心をくすぐったり、なけなしのボーナス(補助金)を餌にしたりして各地域が競って学校を改善するよう誘導した。たとえばバージニア州ではポイント制にして、校地が二エーカー以上あれば二ポイント、などと加算して合計九〇点を超えた学校に「スタンダードスクール」の称号を与えた。こうやって少しずつ、長い伝統をもつ小規模学校が足元から掘り崩されていった。巧妙、狡猾なやり方で権力が末端へと及んでいく好例である。これと似たことがジョージア州でも(白人学校限定で)行われていたのだ。(Steffes,T.School,Society,&State,University of ChicagoPress,2012)
 以前、アメリカでの就・通学支援の第一歩はまず交通手段の確保から、という趣旨のことを書いたが、実はこの問題は単にアメリカの自然地理的条件によるだけでなく、人為的に「つくられた問題」でもあった。かつてのワンルームスクールは非常に小規模なコミュニティ単位に建っていたから、子どもの「足」の問題はそれほど深刻でなかった。「ビガー・イズ・ベター」と叫び、コンソリデーションが推進されたために、多くの子どもが遠くの学校に通う羽目になった。スクールトランスポーテーションという新たな「問題」が、こうして生み出されていったのだ。改革者と称する人たちが引っかき回して、システムがかえって混乱するという悲喜劇を繰り返す、近年の日本の教育が思い出される。
(以下続く)







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