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評者◆鈴木毅(進駸堂書店中久喜本店)
本気も本気な秘宝館
秘宝館という文化装置
妙木忍
No.3161 ・ 2014年06月07日




■たしか僕の秘宝館初体験はデートだった。
 一九七〇年代から八〇年代に全国三十館にのぼり隆盛を極め、九〇年代に衰退していく秘宝館。現在は我が地元栃木県日光市の鬼怒川秘宝殿、静岡県熱海市の熱海秘宝館、佐賀県嬉野市の嬉野武雄観光秘宝館の三館を残すのみとなった。貴重な秘宝館が地元にあることに、栃木県民の僕は万感胸に迫る思いである。
 秘宝館は性をテーマにした娯楽施設で、そのため社会の低位に位置づけられている。そんな秘宝館を文化的側面からいたって真面目に調査研究したのが本書である。
 当初から秘宝館は驚きとユーモアに溢れ、ボタンを押すと風が吹き(マリリン・モンロー風な)女性人形のスカートがめくれ上がるといった参加型展示であった。
 日本で初めての秘宝館、元祖国際秘宝館伊勢館を創設した松野正人は「楽しく見せる――という発想から、さらにレベルアップを図り、秘宝館の社会的な意味付けを含めた〝参加できる媒体〟へと躍進の道を突き進む日は、決して遠い日ではないはずです」と手記に綴っている。
 これらの展示を東宝日劇、東宝砧撮影所を経て、アミューズメントに特化したプロたちが興した東京創研という会社が企画、施行を請け負っていたというのも興味深い。いわば娯楽のプロ中のプロが秘宝館の展示物などを製作していたのだ。見世物として適当に作られたものではなく、本気も本気である。しかもインタラクティブである。
 また、秘宝館といえば、実物の人間を模した精巧な人体模型があるが、本書では医学向けの解剖模型と性的な人体模型を製造納品している業者が同一であるとの驚きの報告がある。著者は驚きのあまり調査を打ち切って寝込んでしまうほどに衝撃だったようである。
 秘宝館が誕生する一九七〇年代は車社会の急速な発展があった。国道が整備され、山間部にあった温泉地は往来が比較的楽になり、観光地の主役となった。バスでの団体旅行が増え、観光地までの国道沿いにはドライブインが増えていった。そうした観光スタイルの変化に、多人数の娯楽として温泉地に秘宝館が多く存在した理由にも納得である。
 そんな時代背景の中で注目すべきは、秘宝館は女性客を意識していたということである。女性の労働参加の増加、そしてウーマンリブの時代である。所得が増え、団体で行動するという女性の余暇活動の変化であった。つまり、性の展示である秘宝館は、僕が思っていたような、エロ親父が数人で「ガハハ、エロいのぉ」と楽しむ場所ではなかったのである。大人の遊園地であり、女性も楽しめる娯楽施設であり、「キャー」と言いながらボタンを押してスカートをめくって楽しむインタラクティブな場所であったのだ。
 それにしても七〇年代とは興味をそそられる時代である。思わず僕は図書館で当時の新聞を見てみた。するそこには、温泉地でのブルーフィルム上映で逮捕者の記事、街の映画館では『スウェーデン物語』と『パリ・エロチカNo1』の同時上映、広告では温泉観光地の宴会旅行プランに『セクシーパリの夜ショー』が目玉に。そう、当時〝エロ〟は娯楽の王様であり、社会も〝エロ〟に寛容であったのだ。
 しかしそれも八〇年代に入り、明石家さんまがセックスを〝エッチ〟と言い換えたことで性への寛容に終止符が打たれた(僕の勝手な思い込みです)。
 そんな消え行く運命にある秘宝館を研究した本書から僕が学んだことは二つある。物理的、精神的にも急激に変化した当時の人々の情緒を知り得たこと。そしてデートで行くには時代が遅すぎたということである。







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