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評者◆池田雄一
何を書いても天皇制に!?
No.3161 ・ 2014年06月07日




■――群像新人文学賞が発表になりました。小説部門は横山悠太「吾輩ハ猫ニナル」が受賞しましたね。
▼本文にもあるとおり、中国語を母語としている人が、日本語を学習するのに役立つように書いたということだよね。地の文からカタカナが排除されて、「彼の来電鈴声は甲殻虫の「艱難時光」であった」(17頁)というような文で書かれている。なかば翻訳に近いような印象があるけど、翻訳というよりはパズルに近い気もする。
 これはN・フライの分類でいうと「アナトミー」に入る作品でしょう。英雄という存在に説得力がなくなった時期に小説というジャンルははじまるんだけど、その際に、超人的な腕力を持った主人公のかわりに、超人的な知性を持った人物が登場する。それがポーの探偵小説に出てくる主人公だよね。デュパンは、知性を発揮して犯人を探し当てるんだけど、読者そのものが知性を発揮する場合がある。それがアナトミーだということになる。数々のユートピア小説や、『ガリバー旅行記』のような、ユートピアのパロディがそうだよね。
 たぶん阿部和重の登場以降ということになると思うけど、もともと「群像」からは、アナトミー系の小説が出てくる傾向にあった。『アサッテの人』の諏訪哲史とか、木下古栗のような小説家だよね。安部公房へのオマージュ「さよなら、アメリカ」で出てきた樋口直哉もそう。
 そんななかで、今回の「吾輩ハ猫ニナル」が面白いのは、内容面だけでなく形式面において、読者の好奇心を刺激しているからでしょう。たとえば阿部和重のデビュー作『アメリカの夜』は、アナトミー的な側面と、ボヴァリー夫人と見紛うばかりの冒険に憧れる人物のパロディ的な側面という二面性があった。この二面性ゆえに、読者は知性によってパロディ化される人物に対して感情移入することができた。「吾輩ハ猫ニナル」は、読者の好奇心は刺激できても、感情移入は全くできない作りになっている。
 ――その場合の感情移入というのは、いったい何なんでしょう。
▼たとえば、スガ秀実が『天皇制の隠語』(航思社)のなかで、そもそもなぜ田山花袋の『蒲団』みたいな情けない話が日本の純文学のイメージを形成しているのかについて、中村光夫を参照しながら分析しているんだけど、これがかなりの力作なんです。
 この本では、政治、とくに天皇制の問題が、日本文学の無意識として捉えかえされている。何故に近代の日本文学は、小説の登場人物に社会的ペルソナを被すことに成功してしまったのか。天皇制というのは、封建制の遺構ではなく、ブルジョワジーの自己欺瞞を象徴するものとして論じられている。
 たとえば、上野千鶴子が、『上野千鶴子の選憲論』(集英社新書)のなかで、文字通り憲法の選び直しということを言い出していてビックリした。これは二〇年近く前に加藤典洋が主張していたことでしょう。そもそも選び直しという言葉そのものが自己欺瞞めいていると思うんだけど。上野先生は、ブルジョワ的な欺瞞から逃走するために「おひとりさま」にいったはずなのに、まさかこんな形でそれが回帰してくるとは思わなかった。
 ――そろそろ話を戻しますが、群像新人賞の評論部門は当選作なしで、優秀作が二点でした。次回から小説と評論が分かれて、群像新人文学賞と群像新人評論賞という二つの賞として運営されます。評論賞の対象作品は文芸評論に限らず、評論全般となるようで、大澤真幸氏、熊野純彦氏、鷲田清一氏が選考委員になりました。
▼群像新人賞の評論部門って、ここ数年はいまいち状況とかみ合っていないような気がしていたけど、編集部としても考える時期にきていたということでしょう。けれども、まずは好戦的な評論家が文芸誌から逃げてしまったことの原因を考えないとダメだと思う。スガ先生の本を読むと、やはりその原因は天皇制にあるということになる。
 それはさておき、評論の場合、読者というのが、潜在的な論争相手でもある。さらに言えば、そうした論争相手となるには、コンテクストを共有していなくてはならない。そのような読者がいないわけではない。ブログやSNSなどのメディアには多数いるでしょう。そのあたりは編集者の心がけ次第でどうにかなる問題だと思う。まずは短めの評論をコンスタントに掲載していくことによって、コンテクストの再構成を図る必要があるのでは。
 ――文學界新人賞も発表され、諸隈元「熊の結婚」が受賞しました。殺伐とした夫婦関係が、これでもかというくらい描かれています。
▼ブルジョワの自己欺瞞の話に戻るけど、あれってブルジョワ的な生活では、内容と形式の分離という事態が起きているということでしょう。この小説の妻は弁護士で、夫は新人賞にむけて絵を描いている画家のタマゴ。ふたりは結婚する前から、すでに仮面夫婦のような状態。すごいよね。
 夫にはプラトニックに想い続けている相手がいて、彼女と十年たってお互い結婚していなかったら結婚しようという約束を交わしている。そんな約束があるなら、べつの相手と結婚しなければいいのに。じつのところ、そのような相手が実在したのかどうかもわからない。弁護士の妻にとって、夫が許しがたいのは、結局のところ彼がこの欺瞞についてあまりにも鈍感だということでしょう。
 それにしても、夫が新人賞ねらいの絵描きというのが泣けてくる。アートにしても、コンペにしても、コンテクストを切断していく能力があって、それが個人のアトム化に貢献しちゃった、というのがこの小説のオチだよね。
 いずれにしろ、コンテクスト共有集団みたいなものが維持できなくなった世界のなかで、どのように作品の舞台をつくっていくのか、というのが課題となるよね。たとえば柴崎友香は、建築物そのものをコンテクストとして再利用するという試みをしている。
 ――「文學界」に「春の庭」が掲載されていますね。
▼柴崎の小説は建物が印象に残るものが多いけど、今回はそれがかなり前景化している。建築物そのものに感情移入する人物が出てくることからもわかるように、この小説の潜在的な主人公というのは建物なんだよね。そして建築物に「記憶」をもたせるために、写真という装置を導入している。ある意味、人間不在の小説なんだけど、一方でヒューマンな印象があるのは、このような建築物が持っている記憶によるんじゃないか。だから逆に言えば、この作品には過去しかないということにもなるんだけど。
 ――「文學界」には墨谷渉の「旅立ちぬ」も掲載されてました。
▼格闘技に長けた若い女性が、顧客の望み通りに技をかけたりケリを入れたりする。ところが屈強なクライアントが現れて、彼を満足させるために体を鍛えていくという話。これはまさしく前に話した「M文学」の系譜に入るでしょう。主人公はマゾヒストではなくて、むしろ逆というか、雇われ女王様的なポジションにいるんだけど、体を鍛えて自分の身体を変えていくというのは、あきらかにマゾヒストの系譜に入る。この小説もコンテクスト共有集団を欠いてしまった世代の作家がどうやって書き続けるのかという課題を背負ってしまっている感じがあるよね。
 ――「新潮」は創刊一一〇周年の記念号ですが、まとまった分量の単独の作品としては町田康「雨女」が載っています。
▼町田康というのは、デビュー当時から語りの圧力の高さで、小説の面白さをつくっていくタイプの作家だという印象があるんだけど。内輪では「語り地獄」と呼んでいるタイプ。これは、いろいろな意味での地獄なんですよ。つまり、笑いすぎて死にそうなという意味と、あまりにも饒舌過ぎて、読者の想像の余地が消されていく感じがあって、嫌でもこの笑いに付き合わなければならないという意味がある。結果として面白いんだけど、読んでいくうちに嫌になってくるときもある。
 今回の作品はそういったタイプとはまったく違って、行間というか余白があるタイプの語りにきれいにシフトしている。よくやったよね。人里離れたホテルに雨女が恋人に会うためにやってくる。案の定、大雨が降ってきて、なんと山崩れの可能性が出てきた。どうも彼女の気持ちが幸福になると雨が降るらしい。自分の命を守るためにホテルの客や従業員は、彼女を落ち込ませるか、もしくは殺害するしかない状況に立たされる。こんな話だよね。
 町田康の作品は、以前から落語の影響について語られているけど、この小説もやはり落語に近いような気がする。文体が全然落語とは違うからはじめは気づかないんだけど。やはり町田康は、落語というものを知っているが故の強さがあると思う。あれこそコンテクスト共有集団が存在することを前提にしているジャンルでしょう。
 ここで『天皇制の隠語』の話に少し戻るけれど、スガ氏が六四歳にして現役感があるのは、文芸誌に書いていないからだと思う。その理由はこの本を読むとわかると思う。これは市民社会に対する批判なんだけど、それが天皇制と無関係ではないことを力説している。これは天皇制を封建制の遺構とする解釈からは見えてこない。
 近代における言文一致運動の結果として、いまの日本語はあるんだけど、それは標準語であらわすことのできない要素を排除したことによる。日本語の書き言葉は、市民の言葉として誕生したわけだ。たとえば上野千鶴子は、さっきの本で、西暦でなく元号を使う感覚がわからないと言っている。これは明らかに言文一致というか標準語の発想だよね。
 近代文学というのは、社会的なペルソナを前提としている。『蒲団』をみればわかるように、近代文学は、いわば仮面の内側を主要な舞台としていた。そこには苦悩や葛藤はあるけれども、人としてのモラルは徹底して欠けていた。そうである以上、何を書いても天皇制を表象したり代理することになってしまう。おなじことが、おそらく評論についても言えるんだと思う。――つづく







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