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評者◆森泰美(函館蔦屋書店)
犬に堕ちても観察者
犬に堕ちても
ヘレ・ヘレ著、渡辺洋美訳
No.3157 ・ 2014年05月03日




 筋という筋がない小説が好きだ。
 劇的な事件が起きる、激しい感情をともなったドラマティックな物語に惹かれるのとおなじつよさで、ミニマルに名のなきひとびとの営みを描いている作品を愛する。
 デンマークの変な名前の作家、ヘレ・ヘレの初邦訳『犬に堕ちても』はそんないとおしい物語たちにくわわった仲間だ。
 42歳の主人公の女性は「泣ける場所を探していて」、ある海沿いの街のバス停に降りたつ。1日に1本しか走っていないバスの停留所に座りこんで海をながめている。それを見つけたカップルが、じきに嵐になるのに、と心配して、自分たちの家に連れていく。彼女は家主の好意に甘えるままその家で寝起きを始め、行動をともにするのだが……。
 主人公は謎の女性だ。立派なおとなであるはずの42歳で、決して若い女の子が衝動的に泣ける場所を探していたのではない。しかし一人称で語られる物語のなか、彼女の感情も背景もふわふわとして掴めない。しかし周りにいるのがどのようなひとたちか、どのような場所で、どう生きているのかが鋭い観察眼で伝えられる。彼らに仮の名(ベンテ)を与えられ、じっさいに読み手はいつまでたっても彼女のほんとうの名前がわからない。とにかく徹底して受け身なのだった。
 行動者ではなく仔細な観察者。つまり彼女は作家であるらしかった。ただし、書くことのできなくなった。傷をたくさん負った。
 「作家の目で」現在と過去が交互にたんたんと語られてゆくにつれ、いまを過ごす土地で生きてきたひとびとの厳しい暮らしと彼らの持つあかるさ、やさしさ、そして「ベンテ」がトランクひとつでここまで来るのに、いったい何があったのかが徐々に見えてくる。細々とした人間の営みがいとおしいのだ。
 わたしも、あなたも、彼らもまた、あらゆるひとはそのひとの物語を携えているのだった。が、ヘレ・ヘレはひとの感情を道具にはせず、あくまでこちらに想像させる作家のようだ。その手つきがとかく上品。『犬に堕ちても』、作家でありつづけること。ベンテはなんと皮肉な業を背負ったものだろうか。
 クライマックスで、根無し草のようなベンテは第三者から苦言を呈される。「あの子たちも生身なのだよ」と。小説の登場人物ではないのだよ、きみが去れば悲しみ傷を負うのだよ、と。
 残してきた恋人は、はたして自分によって傷を負っているのだろうか、でもそこに戻ったらここでともに過ごした彼らや想いを寄せてきた彼はどうなるのか(まちがいなく傷つくだろう)。暗示させるようなシーンはあれど、彼女の行く末をぼんやり考えてしまう。犬に堕ちても観察者。もしくは行動者になるのか。小説をめぐる物語をつむいだヘレ・ヘレの目くばせに惑わされてしまったらしい。







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