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評者◆鈴木毅(進駸堂書店中久喜本店)
なんと気持ちのいい連中だろう
あかんやつら――東映京都撮影所血風録
春日太一
No.3156 ・ 2014年04月26日




■「なんと気持ちのいい連中だろう」とはルパン三世の映画でヒゲのオッサンが言った名言であるが、まさしく本書に登場する人々は気持ちのいい連中である。
 例えば東映京都設立時の中心となったマキノ光雄。五一年、マキノ光雄のいた東映京都の前身である東横映画は月四本もの映画を製作し続け、しかし作れど作れど経営は火の車であった。追加融資を頼むべく片岡千恵蔵を引き連れてオーナーである五島慶太に会い土下座。「助けてください!」と涙を流すがもちろん芝居。
 そんな状況で正月映画三本を作らなければならず、製作の進行は過酷を極める。一本は兄雅弘が担当したが、マキノ光雄は二本同時に製作。進行の遅さに業を煮やした光雄がスタッフを集めて演説をぶつ。「この二本が間に合わなんだらな、わしはこの撮影所に火をつけてその中にとびこんで死んでやる。そうなるとお前らは女房子供かかえて路頭に迷うんじゃ、どや、それでいいんか、ええか、わかったな、間に合わなんだら、大変なことになるんや! ええか、頼むで!」。スタッフ一同「親爺ッ! まかしとけや!」。果たして正月興行に間に合うのであった。なんと気持ちのいい連中だろう。
 それともう一人。「おっしゃ! それでやれい! タイトルは『温泉ポン引き女中』や!」といった強烈な一言を発する岡田茂である。彼がいなければ現在の東映はなかったのではないだろうか。マキノ光雄が提唱した「泣く・笑う・(手に汗)握る」「痛快・明朗・スピーディー」という大衆娯楽主義と時代劇のテーゼ。岡田茂はそれを「不良性感度」へと転換。『仁義なき戦い』などに代表される泥臭く男臭い東映イズムで邦画界の一時代を築いた。
 五〇年代はプログラムピクチャー全盛の時代である。二本立て興行で週替わりで封切りされるのである。年間八〇本以上を製作しなければならない状況で岡田茂は現場を仕切っていた。スタッフより早く撮影所に来て、ロケに行くのを見送り、全ての映画の脚本をチェックする。「あのオッチャンが偉いのは人を大変な目に遭わせるときは自分も大変な思いをする。そういう公平さがあるからみんな付いていったんだと思います」と語られる岡田茂にいつしか僕は惚れていた。
 時代劇が斜陽になり人員整理が必要となった時に岡田は、東映京都躍進の功労者である片岡千恵蔵、市川右太衛門二人の〈御大〉に専属契約の解除を言い渡し、〈天皇〉と言われた監督松田定次へも一線を退くよう説得する。一番やりにくい上の人間から切っていったのだ。「なにがあっても撮影所の人間を路頭に迷わせたらアカン」。この岡田の言葉に涙である。
 過酷なロケで日当三百円を渡し「これで遊郭で遊んで来い」と言ったり、「一升瓶何本でできる?」と聞いて「三本でやったる!」など、そんな単純なことでアホな……と思うかもしれない。遊郭遊びが嬉しいのではない。お酒が欲しいからでもない。その気遣ってくれる気持ちを理解しているからこそ、それに応えようと士気が上がるスタッフ。なんと気持ちのいい連中だろう。これはもう利害ではなく精神的な結びつき。そう、東映京都は家族なのである。
 本書は現在も続く東映京都撮影所の激動の時代を描いた涙と笑いの歴史である。「映画よりも熱く、馬鹿で、最高に面白い」。この帯の惹句に本書のすべてが表れている。
 僕もスタッフからフェアの企画提案があった時には使ってみたい。「それええな! それやれ! フェアタイトルは『くの一暴れ太鼓フェア』や!」。







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