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評者◆秋竜山
次々とあらわれる写楽、の巻
No.3155 ・ 2014年04月19日
■あの写楽にいえることは、何人いようが怖くない。と、いうことだ。次々と、あらわれる写楽だからだ。歌舞伎でいう「実は何々」と、名のるのに似ている。これで、おさまったかというと、そうでない。「実は何々」といいだす。写楽とはそういう謎の人物なのである。橋本直樹『六人いた!写楽――歌麿と蔦屋がプロデュースした浮世絵軍団』(宝島社新書、本体八〇〇円)を読む。写楽本の面白さは、みんな写楽研究家による有名な学者たちが著者であることだ。読むほうとしては、信ずるしかないだろう。いつもそうである。
〈写楽をそこまで有名な浮世絵師にしているのは、何といっても彼の正体があまりにも謎に満ちているからだ。そのため、実に多くの人たちが、写楽の正体についてさまざまな説を唱えている。葛飾北斎、喜多川歌麿、歌川豊国、円山応挙、酒井抱一、司馬江漢、山東京伝、十辺舎一九、などの著名な絵師や作家から、斎藤十郎兵衛や、近松昌栄、篠田金治、などという人物まで、写楽ではないかといわれる人物が数え切れないほど現れるに至ったことは、よく知られている。〉(本書より) 新しい写楽を、信ずるということは、前に信じていた写楽をどのように扱うべきか。否定はできない。やっぱり、信じ通すことか。 〈歌川豊国についていえば、この説を主張する唯一の人物ではないかと思われる梅原猛氏の著書「写楽 仮名の悲劇」を読むと、豊富な資料を駆使した文章の膨大さにもかかわらず、写楽の正体は豊国である、というその結論の違和感と、そこで挿入された数多くの図版に見られる豊国の役者絵との違和感が、どうしてもその著作全体の印象として残ってしまう。〉(本書より) 写楽の正体が豊国であるといわれると、素人はそれを信ずるしかないだろう。反論もできない。そして、豊国の絵を見るたびに、頭の中に写楽がポッ!!とあらわれる。豊国と写楽が並んでいることになる。同一人物であるからだ。「豊国さん」と、いうと「ハイ」と、写楽が答えるといった具合である。 〈美術評論家の瀬木慎一氏はその著書「瀬木慎一の浮世絵談義」の中で次のように述べている。「私に言わせるならば、作品があるというこの事実のほうが先であり、先にあるこの「作品」を放置して何の写楽論か、と反問したい。それというのも、梅原猛の歌川豊国と同一人とする主張に典型的に見られるように、肝心の作品認識を誤ると、全く信じられないような憶説が飛びだすことになるからである。写楽と豊国が同じように見える人には、絵画を論じてもらいたくないというような根本的な疑念が残る点では、他の諸説も五十歩百歩である」〉(本書より) そして、「写楽さん」と、いうと、数多くの写楽であったという絵師たちがいっせいに「ハイ!!」と、答えることになるのか。よく考えてみると、みればみるほど、写楽的な画風である。このような絵が、どこから浮かび上がったのか。不思議でしかない画風としかいいようがない。しかし、もっとよく考えてみると、数多くの絵師が写楽の絵を描けるということになる。それが学者たちの説ということになる。千代女までが写楽であるという。「実は女であった」と、いうのだ。そして、懸念していることは「実は写楽は存在しなかった」なんて、ことになったら、どーしたらよいのだろうか。 |
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