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評者◆編集部
こどもの本棚
No.3155 ・ 2014年04月19日
あたしの辞書に、希望はある
▼石を抱くエイリアン ▼濱野京子 一九九五年生まれ、二〇一一年三月に卒業式をむかえた一五歳、中学三年生の物語です。一九九五年というと、阪神大震災が起き、地下鉄サリン事件があった年です。そして卒業のとき、東日本大震災が起きました。人生、なんというめぐり合わせだろうと思います。私たちは時代や場所はもとより、親さえも選んで生まれてくることはできない。大震災に大事件と、不条理が度重なるなかを、彼ら彼女らは育ってきたのです。 この物語のテーマは、そんな不条理の世の中にあって、若者たちの希望はどこにあるかということ。それぞれが自分の希望を抱いて生きています。高浜偉生は日本一の鉱物学者になるという意志を持っている。友達はそんな彼に影響を受けたり、受けなかったり。そんな夢はないし、一生見つからないかもしれないけど、いまを生きるわたしたちのこの瞬間は、なんだかきらきらして見える。 大地震、原発事故、電源喪失、脱原発のデモ……。いろんなことが起きる。それでも「あたしの辞書に、希望はある」。夢見る若者の後押しをするような作品です。(3月刊、四六判一九〇頁・本体一三〇〇円・偕成社) 家族の一員だった動物の3・11 ▼ぼくは 海になった――東日本大震災で消えた小さな命の物語 ▼うさ さく/え 東日本大震災では、人間だけでなく、たくさんの動物たちも犠牲になりました。その数は正確には把握されていません。この絵本は、そんな動物たちと家族の一員として暮らした飼い主さんの心を、絵によってつなぐ「震災で消えた小さな命展」から生まれたものです。 あの日、3月11日に、ミニチュアダックスフントのチョビは、お母さんと波にさらわれてしまいました。お母さんのこどものたえちゃんと、はなればなれになってしまい、チョビはお母さんに抱かれたまま、波にのまれました。 気がついたら、お母さんがたおれています。何度も何度も声をかけたけれども、お母さんはもうおきてくれません。 このままじゃ、こごえちゃう。チョビはまっくらな海のなかをおよいでいきました。 海からあがり、ぬれた体をブルブルとふるわせて見上げると、そこはもう知らない町にかわっていました。こわれた家や車がかさなって、町をうめつくしていたんです。 チョビはたえちゃんをさがして、家のあった場所にはしっていきました。あ、たえちゃんだ! チョビは駆けよっていきます。でも、たえちゃんは気づいてくれない。そう、たえちゃんにはチョビが見えないのです。 津波にのまれて、お母さんとチョビのように、たくさんの人や動物が亡くなりました。「命はすべて救うもの」という考えから、この絵本が生まれたといいます。大震災から3年、あらためて命の大切さを伝える絵本です。(3・11刊、24cm×22cm四〇頁・本体一三〇〇円・くもん出版) “かんがえごと”をたべるおばけ ▼はじめてのともだち ▼巣山ひろみ 作/石川えりこ 絵 くいしんぼうのおばけ、ナンダッケは、てのひらにのるほどちいさなおばけ。くいしんぼうといっても、夢をたべる獏のように、“かんがえごと”をたべるくいしんぼうなのさ。かんがえごとをしてるみんなにちかづいては、かんがえごとをパクリとたべちゃう。 かんがえごとにも、いろいろ味があるんだって。けんかのかんがえごとは、あまりおいしくない。大好きなのは、わくわくするかんがえごと。 そんなあるとき、ナンダッケは、あっくんという男の子のあたまのうえにうかんだかんがえごとを、パクリとたべてびっくり。「おいしい!」。いままでたべたなかでも、とびきりの味だった。でも、たべたおかげで、あっくんはすっかりナンダッケのことをわすれてしまったのです。かんがえごとをわすれてしまった、あっくん。ナンダッケはもうしょんぼりです。 だいじなことってなんだろう。そのことに気づかせてくれる絵本です。(2・25刊、A5判六四頁・本体一二〇〇円・国土社) オオカミがむすんだ平和のやくそく ▼ともだちになったフランシスコとオオカミ ▼ロベルタ・グラッツァーニ 文/パトリツィア・コンテ 絵/わきた・あきこ 訳 むかしむかし、ある冬のこと、イタリアのグッビオという町に、おそろしいオオカミがいました。おなかをすかせたオオカミは群れになって、町の人がかっているヒツジをおそい、一匹、二匹、三匹と引き裂いたそうな。グッビオの町の人は、もうオオカミがこわくてたまらなくなった。 そんなおり、とてもやさしい修道士のフランシスコが町をとおりかかった。そして、オオカミに町の人がおどかされ、こわがっているのを見て、「わたしが、オオカミのところへいって、話をしてみよう」とでかけていきました。そして、おそいかかるオオカミにむかって十字架のしるしをして、イエスさまのために、もうわるさをしないようにと説いたのです。 「きょうだいオオカミくん、きみはとてもひどいことをしたね。人と動物をおそって、むさぼり食ったじゃないか。だからきみの敵になってしまった。かみさまがおつくりになったものに、わるいことをしたんだよ」。 人びととの平和をやくそくするんだよ、もうわるいことはしないでねと、フランシスコはオオカミを諭しました。するとオオカミは、やくそくのしるしをフランシスコにつたえたのです。すべてのいきものをだいじにし、きょうだいとしてやさしくあつかったフランチェスコのことばに、かみさまの教えを見る気がします。(9・1刊、24cm×21cm三六頁・本体一三〇〇円・女子パウロ会) 日本語で学ぶ子どもの心の内を知る絵本 ▼ぼく、いいもの いっぱい――日本語で学ぶ子どもたち ▼善元幸夫 編著/丸山誠司 絵 この絵本におさめられているのは、海外から日本に来たり、国際結婚で生まれて、小さいときに日本語とはちがう言葉をおぼえた子どもたちが、日本の学校で日本語をまなぶなかで描いた絵であり、習いたての日本語でつづった作文集です。自分の正直な気持ちを率直に伝えていて、日本社会の裏表にもふれた子どもたちの表現の数々を見ることができます。 タイから来たケスヤさん(八歳)は、「よるのこと」という絵文を描いています。そこには、おかあさんがごはんをつくって、仕事に行ったあと、夜にひとりでいたときの気持ちが表現されています。「ひとりで ねるのは いやだった」。ごはんをつくることができないとき、おかあさんは五〇〇円をわたして、「おにぎり かってたべなさい」といいます。おかあさんの手とケスヤさんの手にのった五〇〇円玉の絵が、「まいにち ごひゃくえん」の暮らしをものがたっています。 日本人のお父さんと、韓国人のお母さんのあいだに生まれたロンイーくん(九歳)は、「はじめて 日本に きたとき、ともだちに いじめられた」「かんこくじんが きらいなのかな? ぼくはかんこくじんがだいすきです。かんこくのともだちが やさしかった」と書いています。そしてまた、「ぼくは かんにほんじん(韓日本人)です。いいものが いっぱいあると おもいます」とも書いています。 日本語で学ぶ子どもたちの心の内を知る、たいせつな絵本です。(2・28刊、25cm×21cm三二頁・本体一五〇〇円・子どもの未来社) 壁画を発見した少年たちと時代 ▼ラスコーの洞窟――ぼくらの秘密の宝もの ▼エミリー・アーノルド・マッカリー 絵・文/青山南 訳 少年たちが洞窟の中で発見した、ラスコーの壁画。この本は、ラスコー発見の物語です。少年たちの発見の背景には、第二次世界大戦がありました。そんなある日、ジャック・マルセルは仲のいい友だちのジョルジュ・アニェルとシモン・コアンカスと、丘に隠れて戦争ごっこをしていました。そしてぐうぜんに洞窟の入り口を見つけたのです。どんどん中に入っていった先に、牛やトナカイの壁画が浮かび上がりました。これが世紀の発見の発端でした。 少年たちは労働キャンプに送られ、レジスタンス活動に参加し、また両親を強制収容所で亡くしたりしました。この洞窟は戦中、武器の秘密の隠し場所としても使われたそうです。戦争と太古の壁画芸術、なにかしら深い因縁を感じずにはいられません。(3・24刊、29cm×23cm三二頁・本体一五〇〇円・小峰書店) |
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