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評者◆秋竜山
わび・さびのない生活とは、の巻
No.3153 ・ 2014年04月05日




 呉善花『日本人はなぜ「小さないのち」に感動するのか』(ワック、本体九〇〇円)で、こんな文章があった。〈「わび・さび」という美意識〉と、いう項目。
 〈「もののあわれ」では、この世のいのちのはかなさがそのまま受け入れられ、美的な感性を強く刺激することになるのです。仏教的な無常観からこうした美意識が生じたのではなく、もともと日本にあった自然に対する感受性に基づいた情緒が、仏教的な無常観と結びついて「もののあわれ」となった。私はそう言うべきだと思います。そしてさらに、中世以降はそこから「わび・さび」という美意識が派生し、やがて日本独自の美学として、人々の間に広く根を下ろすまでになった。そうに違いないと思えます。〉(本書より)
 毎日、生活する中で、考えもしないことだが、もし「わび・さび」という美意識というものが存在しなかったら、どのような生活になるだろうか。そんなこと知らないままに生活していくのだろうか。「わび・さび」文化が生活を豊かなものにしているのだろうか。
 〈江戸時代の「わび・さび」へと発展していく美意識が、日本文学に見られるようになるのは鎌倉時代末期、十四世紀半ばの「徒然草」(兼好法師)以降と言われます。〉(本書より)
 日本に生まれ育ったものは、「わび・さび」ということを特別に教育されなくても、自然と身についていくようだ。空気を吸って生きているように、「わび・さび」空気なるものを知らない内に吸い続けている。日本には特別にそのような空気がただよっている。自然の中にある「わび・さび」を、知らない内に吸い続けている。だからこそ、日本人は「わび・さび」が血となって体内をかけめぐっているのではなかろうか。
 〈「花は盛りに、月は隈なきをのみ、見るものかは。…咲きぬべきほどの桜、散り萎れたる庭などこそ、見所多けれ」(徒然草 下 第一三七段)(本書より)
 本書では著者の解説文が心よいメロディのように読める。
 〈満開の花や満月の月だけが見るに価するとは言えない。すでに花が散ってしまって、これから咲こうとしている木々の枝、すでに散って萎れた花が落ちている庭などこそ、かえって見所の多いものである。こうした美意識は現代日本人にもそのまま通じるものと言えましょう。満開の花もいいし満月もいいけれども、花が散ってしまった木の枝もいいし、十三夜のちょっと欠けた月もいい、萎れた花が散っている庭にも格別のものがある。こうした美意識が喜ばれ、それが芸術表現ともなったり、またごく一般の人々の間にすら共通に浸透しているようなことは、世界広しといえど、日本人の間にしか見ることのできないものです。〉(本書より)
 〈日本人は心の目で相手を見ている〉と、いう項目がある。これは、外国人には理解できないらしい。そういえば、「俺の目を見ろなんにもいうな……」なんて不思議な歌が昔、大ヒットした。そのおかげで、なにかにつけて口ずさむようになってしまった。日本人的な詩情である。「バカヤロー!!なんにもいうな!!と、いうのにいってしまいやァがって」。無言の美学とでもいうか。まず、よく喋べるなァ!!と、思えるのはテレビである。お喋り集団であり、現代的かもしれない。もし、昔の武士の世界がテレビをつくっていたら、ひとことも喋らない口をへの字にまげた画面ばかりだろう。







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