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評者◆鳥居貴彦(恵文社バンビオ店)
コンセプトは「伝えたいことはなんにもない」。
偶然の装丁家 (5月初旬発売予定)
矢萩多聞
No.3150 ・ 2014年03月15日




■深夜、仕事帰りにぶらりと立ち寄ったラーメン屋にその男はいた。いつもの人懐っこい笑顔が今日はどこかくすんでいる。韓国土産だという石鹸を取り出しながらおもむろに彼は切り出した。「原稿がかけなくて…。」この男が、シリーズ「就職せずに生きるには」の執筆に挑み、最初の原稿を書き上げたものの最初の読者(妻)に酷評された、装丁家・矢萩多聞その人だった。
 その後の展開は早かった。すぐに手元にゲラが届く。うずうずして通勤中のバスでゲラを広げる。仕事の遅い編集者にでもなった気分。うふふ。
 そこに描かれる矢萩多聞という男の半生は、とんでもないものだった。中学生のころから学校にもろくに通わずインドへ渡る。画廊を借り個展を開く。二十歳で十人もの人たちと対談し、出版する。帯には谷川俊太郎さんの推薦文つき。なんだこの生き方。実はすごい人だったんじゃないのか。けれど、そこに描かれるある意味で現実離れした生きざまと、目の前で子どもみたいに無邪気に自分の装丁した本について語るやわらかな人物は乖離しているようで、全く矛盾しない。飾らない文面にも助けられて「ああ、そうか。」と一つのストーリーがすとんと落ちてくる。矢萩多聞という生き方から何を得るかは人それぞれだが、どんな人にもなにかしらのヒントがあるはずだ。
 普段、本を売るという仕事をしていながら、一冊の本の製作過程を知ることはほとんどない。ごく一部の本で出版社からいただくプルーフ本やゲラに目を通すことはあっても、飲み屋に呼び出されどうしようもない感想を述べてみたり、「装画をミロコマチコさんにお願いできそうなんですよー。」とはしゃいだ声の報告を聞いたり、書名をめぐって編集長とぶつかり不満げな姿に笑わされたりすることはない。
 そもそも、執筆、編集、印刷、製本、流通といった過程以外に、装丁という仕事や装丁家という存在は知っていても、具体的にどこからどこまでが装丁なのかは知らない。思えば無責任なものだ。いまや野菜や肉は産地や生産者がわかって当たり前。何の情報もなければ買うのにも不安といわれ、なによりも売り手の姿勢が疑われる。なのに本屋は気楽なもの。誰が執筆したか以外の情報は全くない。何が書かれているかわかっていない場合だってある。どんな紙を使って、どんな過程で生まれてきたのか、売り手はほとんどなにも知らないのである。かといって「この本は表紙に里紙という紙を使っていて。銀色のインクがよく映えるんですよ。ほら。」とかいわれても読者は知ったこっちゃないだろう。だが僕が読者だったら装丁やインクのことまで語れる書店員は信頼すると思う。必要かどうかは別にして。
 本はかならず現実の世界につながっている。ノンフィクションやエッセイだけではない。現実離れした物語だってどこか日常とつながっている。どんな本だって自分の心や生活に響くものがある。本を扱う仕事についてそろそろ三年が経とうとしている今、気づけば大変な量の本にかこまれ、たくさんの本を通じて出会った人たちにかこまれている。そして今、こうして最後の校正前のゲラを手にしている。さてこれからどんな本になるのか。本書のコンセプトは「伝えたいことはなんにもない」。そんな本がどんな世界に読者を連れていってくれるのか。お客さんに手渡すのが楽しみでならない。







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