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評者◆池田雄一
M文学の誕生だワンッ!
No.3150 ・ 2014年03月15日




■――最近、柄谷行人氏による柳田國男関連の本が、立て続けに刊行されています。『遊動論――柳田国男と山人』(文春新書)は、「文學界」に連載されていた記事をまとめたもの。『柳田国男論』(インスクリプト)は、七〇年代~八〇年代に書かれたものが収録されています。また柳田国男著/柄谷行人編『「小さきもの」の思想』(文藝春秋)は、柄谷氏による独自の観点からのアンソロジーとなっています。
▼二〇一二年にでた『哲学の起源』(岩波書店)のなかでは、支配者のいない「イソノミア」という政治形態が語られていた。これは、言ってみればアナキズムに近いものなんだけど、アナキズムは、まず支配者を排除しなくては成立しないから、テロリズムと親和性があった。一方でイソノミアでは、広大な土地に植民するような状況が念頭におかれている。古代のイオニア、開拓時代のアメリカ、日本だったら北海道の開拓民とかだよね。
 山田洋次の映画に『家族』(一九七〇年)というのがあるんだけど、これは、長崎に住んでいた一家が、陸路で北海道まで移住する話。ひどいことに、その過程でふたり死んでいるんだよね。赤ん坊と、笠智衆が演じているおじいちゃんなんだけど。犠牲がでたから移民は無理というのではなく、むしろ死んだ者のためにも、この土地でやっていくという選択をする。土地を選択するというのが、イソノミアの倫理だということになる。それには土地を去っていくことも含まれるんだけど。
 こうした土地と倫理、土地と人間の自由という問題を、ちがった方法であつかっているのが、一連の柳田論ということでしょう。とくに『遊動論』は、イソノミアという発想がもっている落とし穴についての検討という意味がふくまれている。
 たとえば、原発災害による放射能の問題にしても、都市に住んでいて流動的であることに抵抗を持っていない層と、地方に住んでいて土地と生活が切り離せない層とでは、まったく異なる考え方を持っている。安全な場所へと逃げるべきなのか、土地にとどまるべきなのか。これは、どちらが正解というのではなく、それぞれの選択に、それぞれの倫理が賭けられているということでしょう。瓦礫の処理によってリスクを共有するという傾向が何となく嫌なのは、この倫理のスペースが埋められてしまうような気がするからなんだけど。
 ――今回の「文學界」は芥川賞150回記念特別号です。
▼この号をみていると、結局のところ「文学にとって歴史ってなんだろう」と考えこんじゃうよね。歴代の芥川賞受賞者による短篇が掲載されているんだけど、ここに脈絡なく並んでいる名前が、受賞者ということだけで、ひとつの歴史として語られるのって、ものすごく変な感じがするよね。たとえば、この号には、中上健次と村上龍の2ショットが載っているけど、日本文学が文学史として語られるのは、そのあたりの時代まででしょう。
 ――小説の話にいきたいと思います。羽田圭介の「メタモルフォシス」(「新潮」)は、SMというか、男のマゾヒズムを正面から扱った作品です。この連載でも取り上げた「トーキョーの調教」(「新潮」二〇一三年九月号)を読んでいないと、ちょっと読むのがつらい作品ですよね。同じSMを題材にした作品でも「トーキョーの調教」は入門篇で、この作品は中上級者コースというか。
▼読む側も調教される必要があるよね。読んでいると作品から「ホンマモン」のオーラがでているのを感じる。だいたい、主人公がこんなに「わんっ、わん」て言っている小説ってないでしょう。でもこれは突破力のある作品だと思う。八〇年代にみられた、村上龍や山田詠美が描いていたSMの世界は、どこか消費と結びついていたように思えるけど、羽田圭介の場合は、ポストフォード主義における労働と結びついている。この違いは大きいでしょう。
 たとえば「トーキョーの調教」では、ベテランの局アナが、マゾヒズムにはまっている様子が描かれている。自分の仕事に対しては、かなりストイックなんだけど、その方が倒錯しているような感じになるんだよね。一方で「メタモルフォシス」の主人公は、証券会社に勤務しているんだけど、自分たちがやっている「対面型」の証券取引には先がないことがわかっている。インターネットで取引しないと儲からない時代に移行しているということらしい。しかし金融というのは、非常にヴァーチャルな産業というイメージがあるんだけど、この作品を読むと、やっていることは完全に客を相手にした「戦争」なんだよね。
 そういえば村上龍が短篇を書いていたけど、やはり彼のSMへの指向性というのは、アレゴリーと結びついていることがわかる。作品そのものが「言葉責め」みたいじゃない。今回のは、もはやアレゴリーというよりは、説教に近いものになっている。
 ――「文學界」の短篇競作のなかに入っている「不自然な人々」ですね。それってやはり読者を調教するということでしょうか。
▼そもそも小説というのは、初期の頃からマゾヒズムと親和性のあるジャンルだと思う。たとえば『ガリバー旅行記』の最初の冒険の行き先は、小人の国、リリパットじゃない。そのリリパットで最初に迎える朝で、あの人、全身縛られているでしょう。子どもでも知っているよね。縛られた状態でガリバーは、ひたすら見ることに特化した存在になっている。つまり、ここでは知覚と身体の分離というモチーフがみられるわけだ。子どもの頃から読んでいるせいか誰も気づかないけど、これはどう考えてもマゾヒズムの話だよ。リリパットでは、ガリバーが、小便をかけて城の火事を消したりしている話もあるんだけど。
 そのガリバーの影響がはげしくみられるのが、覆面作家の沼正三による『家畜人ヤプー』だよね。あれは、遠い未来において、日本人が人間ではなくてじつは猿の系譜に属することが判明する話だよね。人権を剥奪されて、家畜のように飼育される。ところが、日本人は動物より知性がありそうなので、家畜よりも便利なものとして活用されはじめる。つまりヤプーは、家畜と言いながら、そのじつは、むしろインテリジェントな家具なんだよね。実際ヤプーは、意志を持った椅子とかオットマンになるわけだから。
 ――まるでドラえもんの道具のようです。そう言えば、阿部和重が短篇競作のなかで、ドラえもんを登場させていましたが。
▼「Eeny,Meeny,Miny,Moe」というやつだよね。金正恩と思しき人物が主人公で、その彼がアニメーション版の「ドラえもん」のなかの「ジケン爆弾」という道具がでてくる話をみている。リニューアルされた方のやつ。作品では、金正恩を完全にオタクとしてあつかっている。つまり北朝鮮の政治的指導者が、同時に剰余消費者でもあるという状況が描かれている。
 阿部和重は、活動の初期から「ドラえもん」を主要なモチーフのひとつとしていたフシがある。しかし考えてみたら、「ドラえもん」における道具の使い方というのは、どこかマゾヒスティックな印象をうけるね。普通に使ったら、簡単に世界征服とかできそうなのに、なんであんなにモタモタしているのか。
 ――ポストフォード主義において、道具とはいったい何なのかということでしょうか。そう考えていくと、何でもかんでもマゾ的なものにみえてきそうですが。
▼そりゃそうだよ。だいたい小山田浩子の「穴」だって、拘束される身体と知覚の分離がモチーフになっているし。面白いのは、こうしたマゾ的な主題が、読み手、あるいはもしかしたら書き手にとって、完全に無意識化されている点だよね。羽田圭介の功績は、そうした主題を可視化した点にあるんだと思う。
 たとえば、家事労働もふくめたサービス業のなかで、知性化できる作業は機械による労働におきかえることができる。全自動洗濯機がそうだよね。あるいは、金融における対面型の取引からネットによる取引みたいに。そうなると人間がこなさなくてはならないのは、もはやどうやっても知性化できない、存在の屑のような作業しかないんだよね。まさに羽田圭介的な状況だよ。対面型の取引が意味をなさないのがわかっている状態で続けるのは、それ自体がプレイとしか言いようがないでしょう。
 ――プレイの話はそれくらいにして、そのほかの作品はどうでしょう。奥田亜希子「川べり運転免許センター」(「すばる」)なんてどうでしたか。これが新人賞受賞後第一作ですね。
▼デビュー作「左目に映る星」では、気持ちのいいドラマを展開してたんだけど、あれに比べると今回は今ひとつ。この人のようにドラマを重視するタイプの作品って、登場人物がどこか普通でなくてはならないという縛りがある。登場人物の市民化だよね。M系の作品のように、知覚と身体の過激な分離みたいな状態があったらドラマはできないんだよ。その意味では演劇にちかい制限をもっている。たとえば、中上紀「赤いサリー」(「すばる」)は、タイトルが雄弁に語っているように、多文化主義の視点が、ついつい文化を理念化する装置として働いてしまうことの罠にはまっているフシがある。彼女も、やはりドラマを重視するタイプの作家だよね。
 奥田亜希子の場合、デビュー作では小さな欠損を抱えた主人公がいた。彼女は人とは違う世界をみているんだけど、そのことがわかるのは彼女自身、もしくはおなじ欠損をかかえている人だけなんだよね。今回はそうした視点をつくることができなかった、むしろ市民的な視点から、異物に侵されている私みたいな話に持っていかれてしまった感がある。この際だから、主人公の旦那がじつは「メタモルフォシス」の主人公だった、というオチを期待したいね。
――つづく







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