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評者◆三上治
集会「いま、吉本隆明25時」について――ともかくとても楽しいものだった
No.3148 ・ 2014年03月01日




(5)集会の企画の経緯

 テレビで「おしん」が人々をテレビに釘づけにしていたのが1983年だとすれば、タモリの「笑っていいとも」がスタートしたのは82年だった。「『笑っていいとも』という言葉は、かなり意図的というか、君たちは楽しむ事を後ろめたく思わなくていいんだよということだと思うんですね。その前はもっと暗かった。苦悩しない明るい奴はバカだと思われていましたよ。…面白いことを言う奴がモテて、暗いことを言う奴は嫌われるようになった…」(山田太一「日常生活のリアリズム、“小さなものの不合理な思い”書き続ける」)。人々の感性的基盤に生じた変化を的確に語っていると思う。学生たちが漫画を読む風景はずっと昔からあり、面白いキャラクターが活躍する植木等の「無責任男」が流行っていた。しかし、これらは暗い時代の逆立した表現であり、それでこそ人々に受けた。山田洋次の「馬鹿が戦車でやってくる」やその後の『男はつらいよ』もある意味ではこの系譜のものだったといえる。
 時代と意識のずれがかなり明確になってきた時代で、タモリ・たけし・さんまがテレビを席巻していく時代だった。吉本はテレビが好きで結構見ていたし、批評もやっていた。サブカルチャーに感覚的についていけない、と感じていた多くの知識人とは違っていたといえるだろう。吉本の家ではたけしなどのことが話題になることも多かった。言語空間において物語が不可能になり、もっぱら解体の方向にあり、その中で登場した話芸の前面化に深い関心を寄せていたのだと思う。86年の暮れのことと思うが、中上健次と飲んでいて、吉本の近況が話題になったとき、僕はこういう状況を話したのだと思う。
 そうしたら、どこか温泉にでも出かけて吉本を囲んで討議でもできないかということになった。僕も機会があればそうしたいと思っていたので、吉本に話してみようということになり、最初は近郊の温泉地で三人の長時間の座談でもやろうという話になった。徹夜というか、泊まりがけでの座談であり、聞きたい人の参加も認めようか、それならいっそのこと「24時間」の集会みたいなものでもやろうということになった。言語空間というか、上部構造、あるいは幻想空間(文化空間)の解体と変貌の中で、座標のようなものを見いだしたいという関心が僕にはあり、中上にもあったのだと思う。タイトルについては色々の案が出たが、吉本のよく語っていた「25時間目」という言葉を入れた「いま、吉本隆明25時」になった。このタイトルは中上健次の案だったかもしれない。

(6)テーマを設けない集会

 吉本は、この集会を企画する中で、可能ならば、24時間話続けたい、そういう気持ちで臨みたいと言っていた。もちろん、そんなことは不可能であることは承知だが、この時代の幻想空間、あるいは言語空間に自分の持っているものを全部ぶつけてみたいという気持ちがあったのだと思う。実際のところ吉本個人で全部をやることはできないわけだから、自分がしゃべらせてみたいというメンバーを何人か招請することで集会を構成することにした。
 集会の主催は僕と中上と吉本の三人にしたが、多くは吉本にまかせることにした。僕は吉本に頼まれて寺田透の家に講演依頼に出掛けた。断られてしまったが、文芸批評家として彼は優れた存在で、吉本の鑑識眼の高さを認識させてくれた。個人的な事情からいえばその後、僕は寺田透の愛読者になった。辻井喬・加藤紘一・栗本慎一郎などにも声をかけたのであるが、それぞれの事情があって参加してもらえなかったのは残念だった。栗本はアメリカ留学中で時間的に無理だったし、加藤紘一は可能性があったが、宮沢首相の誕生の前夜で時間調整ができなかった。また、僕はフェミニズムのことを提起してもらいたいという意図もあり上野千鶴子に声をかけたが、これも参加にはいたらなかった。僕はヘーゲル学者の加藤尚武に声をかけ、「近代知の行方」と題した話をやってもらうことにした。中上は都はるみに声をかけると言っていた。大原富枝(作家)や前登志夫(歌人)らは吉本が声をかけた人々だった。他に多くのメンバーに加わってもらったが、24時間集会なんて初めてだったし、タイムテーブルをつくるのは大変だった。
 この集会は、中心には吉本の発言があるのだが、特別のテーマ(主題)を設けなかった。これは僕らがこれまでやってきた集会とは異なるものだった。何故なら、多くの集会は社会的―政治的な主題を持ってなされるのが常だったからである。しかし、時代はこの種の主題を解体させ、空虚なものにしつつあった。だから、こういう主題を軸にする集会には違和があり、諸個人の切実に思うところでの発言の集まりという方法をとったのである。全体的なもの、あるいはこれまでの政治的―思想的な主題と思われてきたものが解体や拡散にある中で、個々の発言で流れとして全体的なものを暗示したいというのが主眼だった。
 集会は87年の9月12日14時から翌日の14時まで、品川のウォータ・フロントにある寺田倉庫T33号館4Fで開かれた。ともかくとても楽しいものだった。主催者という緊張もあって、そんなことは念頭になかったが、予想外のことだった。今から思えばあんな集会が出来たことが不思議だったのかもしれない。前半では大原富枝の「生きるということ」がとても感動をよんだ。彼女の自伝というべき、血族をめぐる問題をめぐっての話はとても深いものであった。この時代に彼女は「イエスの方舟」をモデルにした『アブラハムの幕舎』という作品を書いており、居場所をなくした若い女たちの世界に触れていた。男女、あるいは家族の中での孤立という問題にアンテナをのばす彼女の原点が語られていて深い感銘を与えるものだった。前にも少し書いたが、このころ中上は引退していた都はるみの歌手復帰を画策していた。どこか公の場で彼女が歌えば復帰の契機になると考えていた。だからこの集会に彼女を出し、歌わせることができたらというのが彼の目論みだった。「対談 歌謡の心(都はるみ・中上健次)」はこのためのものだった。
(評論家)
(つづく)







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