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評者◆三上治
中上健次は何を物語りたかったのか――路地の消滅と中上の苦闘
No.3144 ・ 2014年02月01日





(11)『地の果て 至上の時』と『枯木灘』

 「朝に光が濃い影をつくっていた。影の光がいましがた降り立ったばかりの駅を囲う鉄柵にかかっていた。体と共に影が秘かに動くのを見て、胸をつかれたように顔をあげた。鉄柵の脇に緑の葉を繁らせ白いつぼみをつけた木があった。その木は、夏のはじめから盛りにかけて白い花を咲かせあたり一帯を甘い香に染める夏ふようだった」。これは『地の果て 至上の時』の冒頭の文章である。竹原秋幸は弟殺しの刑で三年ほどを大阪の刑務所で過ごし、今帰ってきたところだ。彼は二十九歳になっていた。『枯木灘』の終わりの方で腹違いの弟の秀雄を石で殴り殺したのだった。彼はそのまま、義父の繁蔵や母フサの家に帰らず、熊野の山中に小屋掛けしている六さんのところに一泊する。これはこの物語が『枯木灘』とは違った展開をすることを暗示している。
 三年前、秋幸は義兄の文昭組長の下で、土方の現場監督をやっていた。彼が組頭になってその仕事を続けるために、母親のフサは資金をへそくりとして貯めており、二千万円もあるという。しかし秋幸はその申し出を断り、父の浜村龍造から資金を借り材木業を始める。「路地と母系」の物語とは異なった展開を意味する。この作品では実父の浜村龍造との関係が大きなものとなる。多くの人が指摘することだが、「路地」の消滅という事態があった。
 「柵につけた幾重もの有刺鉄線の光る向こうをみた。写真より数等も実際に路地跡は生々しくむごたらしく、いつの間にか生え茂った雑草が風を受けた光の波をつくり美しかった。路地だけでなく山も消えていた。目を転じると、路地から道路一つ隔てた向こうにモンの店や秋幸の異母妹に当たるさと子が働いていた店のあった新地があった。だが、それらも、その向こうの製材工場もさらにバスの車庫も、消えていた。風が渡ってくる度に路地跡を中心に生え茂った雑草が身を起こしうごめき、山の際に流れ者らが住みつき蓮池を埋め立ててさらに多くの流れものが住みついて出来た路地が夢そのものであったように音を立てた」(『地の果て 至上の時』)
 秋幸が刑務所にある間に路地は消えていたのである。被差別部落を原基とする路地は中上の創出したものであるが、その場は消滅とでもいうべき変容を遂げていた。このことと路地という場の原基の現実的な進展(消滅的な再編)とは同じではなかったろうが、この動きにどう応えるかがこの作品の根にある。秋幸は路地が産んだ子供同然に育てられたともいわれてきたのだが、この親密な場の消滅があったのだ。それだけではない。秋幸がいない間に文昭の仕切る組は仕事の形を変えていた。かつて秋幸が土の匂いと共に自意識を忘れさせてくれるような一体感を感じさせてくれる仕事(労働)は困難になっていたのだ。
 土方仕事、秋幸の肉体労働はもちろん幻想であったのだけれど、この自然(大地)との自然的な関係は不可能になりつつあった。「…二度と土方に戻ることはないと感じた。かつてとは全てが違った」(前同)という思いが秋幸にはあったのだ。「二十六の時なら路地はまだ温かい日だまりのようであり、そこで母フサが産みおとした生きた五人の子の一人として、貧しかったが何一つ欠けることのない状態で暮らした時期に戻ることは可能だった」(前同)。これはある意味では中上が創出した路地を舞台にした物語が紡ぎだせなくなっていたことの告知ともいえた。『岬』や『枯木灘』とは質を異にしている根拠である。

(12)「蠅の王」

 秋幸は実父の浜村龍造に憎しみを抱いている。彼は母フサに秋幸を孕ませると、他の女にも子供をつくっていた。そして人に嫌われる悪辣の限りを尽くし、今は手広く材木商を営んでいる。路地を消滅させ空地化させた頭目的存在と手を組んで暗躍してもいる。秋幸は龍造への憎しみを、異母妹のさと子を姦し、異母弟の秀雄を殺すことで果たしたが、龍造に薄笑いでかわされ、今は若気のいたりでやったことで思慮が足りなかったと思っている。彼は山小屋で六さんにおのれの憤懣をぶちまけてみたい気もしたが、心の内に収めた。他方で龍造は秋幸を兄やんとよび、自分の後継者にと考えている。自分がむしろ秋幸の子供だと称し、彼を受け入れることを望む懐の深さがある。彼は蠅の王といわれ、人々に指さされる存在だが、善悪を超えた人物として造型されている。秋幸は父親への違和感や憎しみが消えたわけではないが、他方で魅かれるところもある。ここは義父の繁蔵とは違うところである。
 秋幸は龍造に資金を借りて材木商を始める。路地の消滅に対して、熊野という山を引きいれることで場を移し換えていこうとする試みだ。中上が熊野の物語として展開してきた世界である。路地にはいつも熊野という幻想空間があるのだが、それが意識的に取り込まれたということにほかならない。また、歴史的な契機の方に手をのばすことがある。熊野へ場を広げることと同じであるともいえよう。大逆事件も熊野の歴史も出てくる。龍造は若いころどこからきたのか、何をやっていたのかわからんといわれ、一本立ちした時、蠅の王とよばれる汚名を注ぐために、自分の先祖は浜村孫一だとまつりあげたのだ。孫一は織田信長の盟友であり、鉄砲集団浜村衆の首領であった。が、後に信長に負けて落ち延び有馬に居ついた。龍造はその子孫が俺だとし、そのための工作もいろいろとしたのだが、秋幸にはその手のうちはすぐに分かるものだった。秋幸にとっては父親が仕掛けた幻想というべきものであった。秋幸と龍造の関係は愛と憎しみの関係の中でもつれた関係になっていくが、龍造の首つり、そして路地に火が放たれてこの作品は終わる。「秋幸はわたしが山とって路地つぶして神経狂て来とる。…秋幸が火をつけたんや」と美恵に言わせているが、路地への秋幸の哀歓の表現だった。『地の果て 至上の時』で路地消滅を書いたことはたしかだが、中上は何を物語りたかったのか。『千年の愉楽』が思い浮かぶのだが、この時期の中上の苦闘が伝わってくるのは確かだ。秋幸三部作というと小津安二郎の紀子三部作(『晩春』『麦秋』『東京物語』)を思い浮かべてしまう。やはり僕は『枯木灘』を一番評価したいと思っている。
(評論家)
(つづく)







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